「外市」宣言 改訂版

 思えば会場である古書往来座店主の瀬戸さんと初めて会ったのは、2006年の2月だった。その月の終わりに池袋のジュンク堂岡崎武志さんと坪内祐三さんのトークショーがあり、そこに知人が数人聞きに行っているということで、みんなで飲みましょうということになった。その時、少し前に知り合いになった、「編集会議」の古本屋紹介連載の筆者で、フリペ「buku」編集長でもあるライターの北條さんが「誘いたい人がいるんですけど」という話になった。それが瀬戸さんだった。その後、北條さんから瀬戸さんが飲み会参加に緊張していると聞いた。知っている人がいない飲み会なので、心配しているという。そこで、2月中旬に開催されたサンシャインの古本市に行った帰り、往来座に挨拶をしに行こうと、こちらも少し緊張して店に向かった。そして初めて瀬戸さんと会った。随分と大きな店で驚いたのだが、店主である彼が自分より年下だということでもまた驚いた。まだ三十代前半なのだ。真面目な人だな、というのが第一印象だった。そして当日の飲み会でも、なんとも言えない味のある瀬戸さんの風情に一発でファンになってしまった。どちらかといえば「新宿」に行くことが多かった自分が、用事を「池袋」で済ますようになったのはこのころである。


 その年10月の早稲田青空古本祭が終わったころ、ちょっとした用事で往来座へ行くと、急遽自分の誕生日を祝う会を開催してくれるという。往来座のみんなと鬼子母神横の「魚河岸亭」へ行った。その席で、往来座外の均一があまり売れない、という話になった。あれだけのスペースを使ってるのに、もったいない気がする、と瀬戸さんは話した。そこで、以前からやりたいと思っていた案を話した。古本屋の店頭、もしくは中で小さな古本市を開催するというものである。それを、その均一スペースでできないだろうか。ちょうど早稲田の催事、BIGBOXの古本市が終わる、という話が出始めたころだった。そういう不安な毎日に考えていた「次の古本市」。交渉事に嫌気がさしていた自分は、気軽な古本市が欲しかった。以前と違いネット告知が比較的容易になった現在、広い店先があれば、「店」そのものが「会場」となれないか、と思っていたのだ。


 現在、古書会館などをのぞいて、古本市は受難の時代ではないだろうか。新宿伊勢丹の古本市打ち切りは衝撃的だった。あれだけの売り上げを出し続け、三十年ほど続いてきた古本市も、ブランド戦略の前にあっけなく切られた。他にも他催事との天秤にかけられてできなくなったりもあるのだという。そうじゃなくても、場所を借りるというのは大変なことで、制約は多いし、経費だって売り上げの2割3割は当たり前だ。品物集めも大変だ。以前ほど簡単に本を集められなくなった。市場に出品される本も少ないし、一般の古本市で売るような本を1000冊近く集めるのは本当に大変だ。古本市にあわせて発行される目録なんかで数百万円売るような古書店と違って、小さな古本屋は現場で売れてなんぼだ。でも本が無いから店から抜いたりして、それで店が開店休業状態になったりする。そういう本末転倒状態におちいったりもする。妥協して同じ本を使いまわして、売っていても面白くなかったりもする。


実は、そんなことから瀬戸さんは古本市というものが嫌いなのだと後で知った。話は彼の独立前、修業時代に遡る。店長があまりいなくて、店内をまかされていた彼は真面目に店の棚を作った。いろいろと考えて棚を作った。毎日の積み重ねであるそんな棚を、一瞬で壊してしまうのはいつも古本市という存在だった。前述のように、店主に棚からごっそり本を抜かれて棚は壊れる。きっと、真面目な瀬戸さんにとって、自分の心そのものが抜かれるようにつらかったに違いない。そんな瀬戸さんに、彼の店で古本市をやろうなんて言ってるのだから、自分はなんと非常識なのか、と思う。でも、自分だって思いは同じなのだ。自分は「店」のために「古本市」をやりたいと思ったのだから。別に「古本市」というのはどこかへ行ってやる必要がないと思うのだ。実際店舗が売れている店というのは、店の中に「古本市」的な要素があるのである。「いい本」というよりは「買いやすい本」がたくさんあるという状況である。とは言っても口で言うのは簡単だが、それはそれで量もいるし、手間だって大変である。だから気軽にそのような状況を作るために、その部分は他の店に頼む。当たり前なのだが、人が来れば店も売れる。自分の店だから、制約はほとんどない。結局は、店にくる「きっかけ」作り。それが店舗内古本市なのである。


 話変わって。退屈男君のブログ「退屈男と本と街」というのは本当にいい名前だと思う。彼は街を歩く。本だけではなくて、街のあれこれを刻みながら歩く。「本」とは関係ない景色を歩き、「本」に関係なさそうな人たちとすれちがう。その先に本屋がある。「街」はやっぱり「雑」がいい。だから自分は「ヘイ・オン・ワイ」のような本屋だらけの街には興味がない。何かこう、「ざらつき」が無い。イメージとして、心地よすぎるのだ。路上とつながった、普通の街角に古本を集めたい。もしかしたらそれが「古本市」だと気づかない通行人がいるような、そんな古本市がやりたい。実は往来座の「往来」にはそんなイメージがあることを瀬戸さんに聞いた。彼には大事にしている言葉がある。HPのトップにある言葉だ。「本は本棚のつづき、本棚は本屋のつづき、本屋は往来のつづき」。本の中に街はあり、街の中に本はある。「本」にも「街」にも無限の可能性があるような気がしてくる。これは大学時代の恩師の言葉だそうだ。
 それから、かつてあたりまえだった道端での立ち読みの姿。今はコンビニのガラスの向こうだったり、大書店はビルの中だ。小さい書店の前で、雑誌を立ち読みしている人たちの風景。そのような、街の中に本が普通にある風景を、もう一度みたい。店の内と外がきっちりつながっている、その場所で外市をやりたい。


 外市のキャッチフレーズは「外、行く?」である。お客さんが気軽に人を誘って来られるような、そんなイメージで作った言葉だ。でも、実はそれだけではない。売る側、つまり自分や参加者に向けての言葉でもあるのだ。たとえば。自分も、思うように店を運営できない。いまだ親父が社長であり、自分は雇われ店主みたいなものなのだ。だから、流されたまま毎日を送ってしまう時もある。妥協になにも感じなくなってしまう時もある。でも、言い訳ばっかりしてふてくされていても、何も変わらない。そんな時、外市が具体的に目の前に現れた。「古本業界」とか「早稲田」とかのしがらみがない古本市が目の前に現れた。もう15年以上古本屋をやっているが、もう一度、ゼロから積み上げていける機会をもらったような気がする。自分が立っている狭い枠の外へ行けるような気がする。古本市が嫌いだった瀬戸さんは、自分の店でその古本市をやることを決めた。新しいお客さんや同業者とのつながりに賭けて、彼は一番最初に「外」へ出た。


 この外市、経費は大棚を使うプロで数千円、他は数百円だ。往来座には「この古本市を開催することによる集客」をもって会場費とさせてもらった。出品量も自由だ。棚にあわせて量を決めるのではなく、出したい量にあわせて、棚を決める。自分を表現することに何がベストか、ということを一番にしたいのだ。店番に来られなくても参加できるようにしたい。とにかく無理なく参加できる場を作りたかった。不安なく参加できる場を作りたかった。実際、プロの古本屋でも古本市をやりたいけど量がとか、人手がとか、いろんな理由で参加できず「外」へ行けない人も多いと思う。そういう人、いまだ出会っていないけど同じようなことを思っている人が気軽に参加できる場であってほしい。今までと違う自分を表現できる場であってほしい。不満だらけの自分の枠の「外」へ行ける場であってほしい。だから「外、行く?」なのだ。


晴れでも雨でも、空の下で本を見て、少しでも来てくれた人にいつもと違う「外」を感じてほしいと思っています。その先に何が生まれるのか。外市がどう街の形を変えていくのか。僕たちは楽しみにしています。