涙を馬のたてがみに

朝6時起床。遅寝遅起きの自分にとっては殺人的な時間である(『本日記』のせいで4時就寝)。いろいろ準備して7時半に自宅を出て神保町へ。着いた人間から地下に本を下ろして積み上げていく。全員分が終わると並べ。10時までに終えるように。その後、目録注文品を、注文者別にわけていく。40分ごろには完了。お客さんを中へ誘導。10時開場。いこいさん、食事を控えている理由を「おしっこから尿が出たら大変だもん」と語る。


いつも通りの目録注文品郵送分の伝票書き。夕方ぐらいになると、一箱古本市から流れてきた方がチラホラ。あら、エンテツ(遠藤哲夫)さんまで。お酒の瓶ぶらさげちゃって(さすがだ)。閉会間際、目録用に20冊ぐらい買わせてもらう。1万円になってしまった。でも、いい本買えた。


閉会後、メープルさんの車で牛イチローと共に早稲田。最近オープンしたインドカレー店〈グレートインディア〉に。ガーリックナンがうまい。その後、近所の〈ベローチェ〉でお茶しながら仕事の話。雨だ、雨だ。明日は新宿展のほうはお休みいただく(2日目か3日目のどちらかを休めるのだ)。自分とこの目録を仕上げなければ。


ディープインパクトに続いて、2年連続の三冠馬誕生がかかった菊花賞。休み時間ではなかったので、気づいたら終わっていた。三冠に挑んだメイショウサムソンは4着に沈んだ。自分が注目していたのは、騎手の石橋守である。地味な人だ。とてもいい人なのだが、地味な人だ。なにせ、初のG1制覇が今年の春、このメイショウサムソンでの皐月賞制覇だったのである。40歳になるかという時期での初制覇であった(武豊が初G1を勝利したのは19歳の時だ)。そんな男が過去に六頭しかいない三冠馬へと導かんと挑んだのが今日のレースだった。三冠馬というのは、皐月賞、ダービー、そして菊花賞を制覇した馬に与えられる称号である。このレースたちはクラシックと呼ばれ、3歳の時に一度限りしか出走できないのだ。距離も違うし、時期も違う。実力だけではない、何か神がかり的なものがなければ三冠馬にはなれないのではないだろうか、と思ってしまう。石橋は、どんな気持ちで挑んだのだろう。ほとんどの騎手が体験できない夜を、石橋は昨夜過ごしたのだ。そして今日、4着に敗れた。完敗であった。
 石橋、と聞くと、いつかの競馬場を思い出す。もう何のレースかも思い出せない。何かのG1レースだった。いよいよ次がメインレースといった時、前にいたオッサンが、仲間に告げた言葉である。「バカっ! G1で石橋なんかに金賭けれるかよっ!」。自分も、そう思った。ほとんどの人も「口に出す意味さえない」というほど、それは当たり前のことだったのだと思う。今日、石橋は1番人気の馬に乗っていた。それは彼に一番のお金がかかっているということだ。でも、結果は随分前の「あの日の石橋」と同じだった。勝った武幸四郎がガッツポーズを決めた直後、何も無かったようにゴールした石橋。自分はその光景をいつかの競馬場の声と同じように、再び思い出すときが来るだろうか。仕事の合間に一瞬だけ思ったこと。