森崎書店の日々、そして海月ちゃん

第三回ちよだ文学賞大賞受賞作品の映画化「森崎書店の日々」が10月23日(土)より神保町シアターなどにて公開になる。恋人から別れを告げられた主人公の貴子。そんなとき、ひとりで神保町で「森崎書店」という古書店を経営していた叔父のサトルから貴子に連絡があり手伝わないかと誘われる。ここ数年は交流はなかった。その叔父からの連絡は「店に住んで、仕事を手伝って欲しい」というものだった。そして貴子は本の街のど真ん中に住むことになった、という感じに始まるお話。
 プロダクションがスローラーナーなので、エキストラとして岡崎武志さんや、魚雷さん、ハルミンさんなんかも出演しているそう。古書市場の風景や神保町の青空古本祭のシーンなんかもあるステキな「古本映画」みたいです。そんな中、これは岡崎さんのおかげとしか言えないのだけど、自分がブログに書いたものを著書『女子の古本屋』(筑摩書房)で引用してくださった言葉が映画の中で田中麗奈のセリフとして使われている(HPで見られる予告編で聴けます)。その言葉ってのは「価値のあるものを買うのではなく、自分で価値が作れる人間は強い」というもの。これはある女性の本の買い方を見て思ったまま書いた言葉でした。それは海月書林市川慎子さんのことなのでした。


もう何年前だろう。古書会館の新宿展の最終日のもう終わりそうな時間にふらっと海月ちゃんが遊びに来たのでした。そんな時間だからまぁ普通は買えないのだけど、どんどんかかえこんで10冊ほど持っている。「高いのあるの?」と下衆な質問をする自分。すると海月ちゃんは「わかんないけどかわいいから売れるかなーって」。自分が見ても正直何がいいのかわからない本でした(言われてようやく「なんとなくいいなー」と思いだすような)。自分だって古本市とかブックオフ行っては「買えないよ」とか簡単にいうけど、それはやっぱり「すでにある価値」にとらわれているところから出てる感覚なんだなぁと思った。その方向性が振り切ったところに携帯セドリがある。海月ちゃんにあらためて本の値段つけというのは「命を吹き込むこと」なのだと教えられた。それを見て、あの言葉を書いた。


その時、強く胸を打ったのは彼女の道のりが楽じゃなかったからだ。それをなんとなくではあるけど聞いていたから。それこそ捨てられていた「オンナコドモ」というジャンルに光を当てて、だんだん名前を知られ人に影響を与えることになり、「いろは」という冊子を作る中で、「商売」としての部分、それこそ後発の人達が海月ちゃんと同じような本をもっと安く売り始めたり。オリジナルであることに意味がないほどに情報が消費されているのを、彼女はそういう愚痴は言わないけど、大変だろうなと感じた。その後、同居していた彼と結婚して、彼の仕事の都合で福島の郡山に引っ越していった。だからここ最近会うのは東京じゃなくて仙台だったりする。


実はまだ知らない人もいるんじゃないかと思うのだが、今年彼女はお母さんになった。子供が生まれた。最後に電話したのは6月のはじめで、まだ生まれる前だった。だからその後、どうしてるかな、元気かな、と気にしていたら、この「森崎書店の日々」の話があったので思いだしていた。前に「もう私のことなんか誰も覚えてないよ」とか言ってたけどそんなことない。今度、赤ちゃん見せてね。お母さんになった海月ちゃんにも会いたいよ。ホントは一緒に映画見たいけどね。


森崎書店の日々」公式サイト http://www.morisaki-syoten.com/