Shinjuku Night 〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜 #014


 尖った空気に包まれて、少し感覚を奪われながら手を合わせる。たまに、飲みに出る前に区役所通りの職安通り側の角にある稲荷鬼王神社にお参りをする。早稲田側から来る自分にとって、ここは歌舞伎町の入口。顔見知りの店のおいちゃんに挨拶するようなものなのである。今年もまた、区役所通りの木々にイルミネーションが点いた。ワイングラスのような、青色がズラリ並んでいる。以前うろうろしていた約10年前には始まっていなかったと思うが、後に風林会館隣にあるチェックメイトビルのオーナーさんが中心となり始めたのだと聞いた。自分はこういうのも、ギラギラのネオンも、どっちもいいと思う。とはいえ、結局はライトアップされた上よりもトボトボと足元を見て落ちているタバコの吸い殻を数えていたりする。九ちゃんがなんと言おうと、上を向いて歩ける身分ではないのである。


《コネジ》の入っているビルの前に来ると、ニット帽をかぶり、妙に厚着をしたキャッチのマサくんが変な感じに上下に揺れながら立っていた。
「なんだよ、そんなんで客、呼べるの(笑)」
「笑わないで下さいよ! じっとしてると寒さ百倍っすよ。ていうか呼ぶも何も、年末近くなのに飲みそうな人が通らないすよ。あのアベノなんとかっての本当なんですか。なんのことだかわからないすけど……」
「靴の中にカイロ入れるといいよ。じゃね」
「あれっ、コネジじゃないんすか?」
「腹減った。メシ食ってくる」
風林会館を曲がり、花道通りをだらだらと歩く。質屋「歌舞伎屋」の手前の路地を曲がる。少し歩くスピードを遅くしてサラッと覗くも《うまいもん》のカウンターはいっぱいだった。たまには日本酒でも(福島のいい酒が揃っているのだ)、と思ったのだけど。そのまま道を進む。相変わらずモクモクと煙が凄いなぁ、と思いながら歩いていると、まさにその煙が出ている《カミヤ》の扉が開いて「いらっしゃい、どうぞー!」と言われる。どこに行こうか迷っていてこの前を通るときは、だいたいこれで入っちゃうんだな。レモンサワーと串をタレ、塩で半々と頼む。串は五本単位なんだけど、次から次へと勧められるので最初から10本たのむ。レモンサワーはホッピースタイルで焼酎グラスにレモンエキスの瓶が別に。トクトクと注いでいただきます。ここの焼きトンはホントおいしくて、ズンズン腹におさまっていく。調子に乗って炙りレバーも。この店のレバ刺しが無くなったのは本当に残念なのだけど、これもまたうまい。このお店、箸が無いので串を箸にする。つまんだり、ぶっ刺したりして食べる、煙の中の幸せがあるんだな。また串5本おかわりさせられそうになったので、今日は帰ることに。値段なんか気にしなくても二千円出せばだいたいお釣りがくる。すっかり気持ちよくなって、店を出て、セントラルロード方向へ抜けるハーブ屋のある路地に入ったところで声をかけられた。


「久しぶりだな、おい」
野太い声。《コネジ》でおなじみのビッグパパ、ミキさんだった。外で会うとコート姿がまた普通じゃない。後ろにはカジュアルなつなぎを着た尖った雰囲気の三人組。ギラギラを隠そうとしない男たち。なんというか、関わりあいたくないタイプの。
「向井君、久しぶり」
そんな……。こんな怖い人たちに知り合いはいない、はずである。思い出そうとあれこれ頭を回転させるも、どこにも記憶のかけらがない。寒さを忘れるように、目の前の光景が真っ白になる。
「ちょっと! カズ、レン、ショウタっすよ。忘れたとか言わせないすよ(笑)」
えーっ、ウソだろ、おい。十年前には金が無くパッとしないボンクラ男子三人組だったのに、どうしてどうして。当時からミキさんの仕事を手伝っていたけど、なんというか鈍くさくていつも説教されてた三人。当時、自分はまだ金があるころで、よくメシをおごったりしていたわけで(先輩風を吹かせられる数少ない後輩だったのだ)。手慣れたように、カズが胸ポケットからスッと「困ったことあったら連絡くださいよ」と名刺を出して渡された。「ストリートハンターズ(以下SH)」とある。
「なに、これ……どゆこと?」
「こいつら、今や一線でやってんだ。仕事の手伝いもしてもらってるけど、今は五分の立場でな。昔のこいつらは忘れてやってくれよ、な」
「めんどくさい交渉とか、なんでもやるよ。トラブルバスターだと思ってよ。向井君にはなんだかんだ世話になったかんね」
「みんな、立派になったんだなぁ。しかもなんかあか抜けてかっこよくなっちゃってさぁ。あっ、せっかくだし、ミキさん《コネジ》行きません?」
「あぁ。ていうか行くとこだったんだよ。俺もな、こいつらと直接会う機会はあんま無いんでな」
花道通りをだらだらと歩く。この人たちに囲まれて歩いていると拉致された中年オッサンみたいだな。「依頼人の債権者が佐村河内に似ていた」など、くだらない話をしながら区役所通りに向かった。


「いらっふぁい」
重い扉を開けると、マスターがあくびをしながら迎えてくれた。カウンターにはビッグママ、リツコさんが一人で飲んでいる。ソファーでは、なんでなのか知らないがレナちゃんがスヤスヤと寝ている。
「マスター、どしたの、あれ」
「レナちゃん、開店からずっと飲んでて、トイレ入って出てきたらそのまま寝ちゃって」
「ちょっと! こっちにもレディいるんだよ!」
リツコさんがガハハというような笑顔ですごんだ。ミキさんは無視して離れたところに座った。今日はミキさんのボトルを開けることにしてみんなで乾杯した。人の金で飲む酒のまわりの早いことよ。ハンターズの三人の仕事を聞きながら、とはいえトラブルバスター的なことらしいし、まぁあまり具体的なことは親しき仲でも秘密らしいので、元気にしてればなんでもいいやと酔っぱらい、十年以上ぶりとは思えない、当時のままのどうでもいい下ネタを話していた。リツコさんも三人とは久しぶりらしく、この人らしからぬ驚きの顔をしていた。それぐらい変わっていたのだ。新宿に戻ってきて、周りを見てみれば自分も含めてみんな良くも悪くも変ってなかったのにな。最近、彼らのように三十代前半でバリバリやっているやつを見ると、まぶしく感じるようになった。弱っている時に太陽は、きついんだよ。変われなかった俺には。


二時間半ぐらいしたところで、飲み会はエアポケットに入った。なんとなく話すことが無くなるあの時間帯である。自分から言葉を発するのが面倒で、タバコの先端を吸って赤くしたり消したりを繰り返して遊んでいた。SHのレンがトイレに立つと、ミキさんが席を立って横に座った。
「向井さ、ちょっとマジメな話いいか?」
「自分みたいなパンピーが聞いてもいいようなことでしたら(笑)」
「バカ。いやさ、前にちょっと誤魔化して話しちゃったからな、その、あれだ、ショーイチの話だ」
「えっ、ショーイチの……」
以前書いたが、思い出横丁で出会ったが挨拶せずにどこかへ行ってしまったショーイチ(#002参照)。かつてこの店で一番仲がよかった男。一つ年下だが、《コネジ》ではそもそも同世代がいなかったので同級生のような関係だった。当時は危うい仕事ばかりやっていて、ミキさんはあれこれ詳しいから心配していたようでいつも気にかけていた。
「お前、来なくなってから俺の関連の仕事やらせたんだ。見てて危なっかしいとこばっかやってたからな、あいつ。で、知り合いのとこ預けたんだけどな、ヘマしたうえに逃げたんだよ。まっ、単純なやつだからすぐ見つかったんだけどな。俺の立場もあるからちょっと新宿をはずさせたんだよ。まっ「所払い」みたいなもんな。そしたらあいつひっそりこっち来てお前に会っちゃったんだろ。ホント、運がないやつだよな。でもまぁ、あいつもこの三人みたいにはなれないけど十年近くある程度はマジメにやってきたからな。この間、迷惑かけた社長んとこに挨拶行かせたんだよ。で、まぁ詳しくは言えないけど、先月から歌舞伎で働いてんだ、あいつ。ただ、また調子のって与太見せるといけないから、飲み食い遊びは禁止してんだよ、このあたりじゃな。まぁ、仮免みたいなもんなんだわ」
「ふーん、そうすか……」
あの日から、あんまり考えないようにしていたことだった。とりあえずはがんばってるみたいだし、少し安心した。かといって、これからどうすればいいんだろう。人間の感情なんて電気コードみたいに知らない間にこんがらがって、はずすのが面倒になってそのままにしがちで、今会ってもどうなるとか考えることができない。しばらくの沈黙のあと、ミキさんが話を続けた。
「きっちり形がつくまではお前には言わないつもりだったんだ。でも偶然にしろ会っちゃったわけだろ。まぁ、今はまだしょっちゅう会うようになられても困るんだわ、いろいろ。でも、この間のことはきっちりしてぇだろ、お前も。あいつ、今日歌舞伎にいるから、よかったら会うか? どうだ、行くなら三人が連れてくから」
SHの三人もすでに承知しているようだ。どうしよう。話した方がいいのか、本当に。落ち着かず、タバコを深く吸って大きく吐いたりしていると、後ろから思い切り頭をひっぱたかれた。振り返ると、いつの間にかレナが起きていて、すごい顔をしている。
「もう、めんどくさい! 男の自己陶酔見てるのめんどくさい! いいから行けよ、もう!」
なんだかおかしくて、店内の全員が爆笑した。自分ももうどうとでもなれと思って「お願いします」と言うと、ミキさんがSHに指示して三人と一緒に店を出た。


「向井君、さっきちょっと、いやたいしたことじゃないけど、職業病っていうか勝手にちょっと調べさせてもらって。文章書いてるんだね、いろいろ」
「なんだよ、内偵されんのかよ。すげぇな、お前ら(笑) まぁ、たいしたもんじゃないよ」
「これからのこと書いていいけど、場所だけは、ね。ぼかしてくれる? 仕事上の共有スペースなんで」
「あぁ、そういうの興味ないから大丈夫」
しばらくして、ある雑居ビルに入った。蛍光灯の光がぼんやりしていて、なにひとつ装飾されていないコンクリートだけの壁。ひたすら、灰色。足早に上がっていく三人を追うように階段を小走りする。三階の右側のドアを、カズが妙なリズムで叩く。二つ鍵をまわす音が聞こえて、ドアが開いた。ぼんやりした光の中に、ショーイチが立っている。一瞬、あっ、という表情を見せたが、数秒して小さな声で「どうぞ」と言って部屋に迎え入れられた。大きなダンボールがたくさん積んである。なんというか、惚れ惚れするような積み方である。さらに奥の部屋へ通された。
「向井君、寒い中悪いっすけど、ベランダで話してくれますか、二人で。ホントすんません、いろいろルールがあって、それが精一杯なんで。あと、仕事の話、NGで」
いや、そうなんだろう。カズが気を利かせてくれたようだ。ショーイチと二人で、置いてあったサンダルを履いて、ベランダに出る。サンダルの冷たさが、ちょっとつらいが、気にするような雰囲気でなく。ショーイチはさっとフードをかぶった。なんだろう、少し大人っぽくなった気がする。フードから出た髪が、風で激しく揺れている。しばらく会話できなかったが、ぼんやりと言葉を交わす。
「元気?」
「ああ」
またしばらくの沈黙。でも、気まずくはなかった。タバコを出すと、軽く一礼してショーイチは火をつけた。今度は向こうから話を切り出した。
「この間は、ごめん。あせっちゃって」
「ビックリしたよぉ。似てんなぁと思ってさ。会っちゃいけない時だったんだろ。ミキさんに聞いたよ。でも、俺も、ちゃんと挨拶しないで新宿離れたからさ」
「いや、俺が変な仕事してて、消えてたからさ……。それもごめん」
「素直なショーイチ、気味悪いよ(笑) 昔のオマエのギラギラ感、忘れてねぇもん、俺。しっかし、俺たちも40歳超えたんだよな。あの頃、30歳なんてオッサンだなんて言ってたけど、なってみたら40はもっとヤバイな」
「ホントだな、前にも後ろにも行きずらい」
「そうだな。なんか、昔の楽しかったことが削られてく感じするもん」
「うん」
その後、またしばらくの沈黙を抜けて、昔の思い出話に花が咲き20分ぐらい経ったろうか、後ろのガラス戸が開いて、カズが「すんません、時間っす」と丁寧に声をくれた。別れの時間が近づいてきたが、ドラマみたいに劇的なそぶりもなく、また意外にそんなに高ぶりも無かった。「またな」そんな感じで別れた。さっきもベランダで外の空気にあたっていたのに、今の方が寒く感じる。階段を下りていく足音が、時間の流れを押している。
「なぁ、カズ。ショーイチって、また、普通に飲んだりできるようになるんだよな?」
「えぇ。ミキさんもちゃんと考えてくれてますから。たぶん、来年の今頃にはなんとか、だと思います。あっ、ショーイチ君、いつもはあそこにいないすかんね」
「うん、わかってる」
歩き出そうとすると、上から「ムカイー」と声がした。ベランダからショーイチがのぞいている。何かがフワッと浮いて、近くにカツンと落ちた。メビウスのボックスだった。「大阪家の、これで返済な!」それだけ言うと、ショーイチは中へと消えた。タバコのボックスを拾って開けてみると、半分ぐらい残ったタバコに挟むように、丁寧にたたまれた千円札が出てきた。馬鹿だなぁ(笑) 以前ショーイチが一番金に困っていたころ、セントラルロードにあるお好み焼き店「大阪家」で、あいつが財布にあったはずの千円札が無いことに気づいて、自分が千円貸したことがあった。自分としては返してもらうつもりなんてなかったのだが、その後、なんかあるたびに冗談で「大阪家の千円なぁ〜」とか言ってからかっていたのだが、そんなことまだ憶えてるなんて。ほんと馬鹿なやつだよ、お前は。「いる?」カズ、レン、ショータにタバコを一本ずつ渡す。そのまま歩いて一番街まで来た。
「向井君、俺たちはここで。また、遊んでくださいよ」
「いや、ありがとう。悪かったな、いろいろ」
「いえ。でも、俺ら、前はショーイチ君にも、向井君にも『前向きに、前向きに』って説教ばっかくらってたじゃないすか。頼みますよ、ホント(笑)なんか、元気なさすぎっすよ。今度は俺らが向井君たちアゲていきますんで、よろしくっす」
「ごめんな、いろいろあんだ、俺も」
「ほら、また(笑)」


一番街のゲートまで見送って、自分はまた引き返す。ちょうど、中心の方から駅に向かって帰っていく人たちの流れに巻き込まれそうで、端に寄ってタバコに火を点けた。冬は、人の歩きが速くなる。夜を終えていく人の表情は、面白い一日だったのか、最悪の一日だったのか、いつも通りだったのか、ほとんどは見分けがつかない。そんな街の中で、自分も、あいつも、会わないまま共に生きていくことになった。その気配が、繰り返す時をただ受け入れる日々のはじまりは、この喧騒の上に。

◆カミヤ
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13010856/
◆大阪家
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13010947/