八本脚の蝶

訳あって、「WiLL」の再来月の原稿を先に書いていたので、来月分の原稿をサラリと書いて即入稿。その後、午前中は仕事をする気がせず。さっき買った「週刊文春」を読む。それにしても、昨年後半から、「おっ」というスクープ多いですよね。すっかり立ち読み派から購入派に。といいつつ、毎号、某所からいただいた「クオカード」を使って購入しているのである。せこっ。


先日、右文書院の青柳さんからいただいた、海野弘コレクションの第一巻『私の東京風景』が発売になっている。この本は、海野さんが東京について書いたものから、単行本未収録のものを集めた本。「東京人」「版画芸術」「遊歩人」などの雑誌から劇団四季のパンフまで、いろんな媒体から集められたもの。こういうスタイルの本は好きだ。あるキーワードについてバラバラに書かれたものをまとめるというような。高麗隆彦さんの装丁もシブいっすね(表紙写真・高梨豊)。全3巻で、次は4月に『新版 都市風景の発見』が。最終巻は、『歩いて、見て、書いて 私の100冊の本』という自伝回想的なものになるとか。これは楽しみ。

私の東京風景 (海野弘コレクション)

私の東京風景 (海野弘コレクション)


午後は、未来社の単行本の予定作り。これから取材する店主たちの確認作業。みんな取材受けてくれればいいんだけども。大御所からやっていく予定。右文書院の単行本が終わり次第、始めるつもり。また、今年の「古本共和国」についてもいろいろ考えてみる。先日、思いついて出してもらった見積書と、昨年までの経費を照らし合わせる。今年は、なんとなく夏ごろから、面倒な仕事をやらされることになりそうな気配があり、早めにスケジュールをつめておかなければならない。やれることは全て前倒しにしてやるつもり。


閉店後、池袋へ。ある本が欲しくなって、ジュンク堂へ。あちこち探すが、見当たらない。タッチパネルで検索したら、在庫ありになっているが、「分類作業中」とある。まだ棚に出ていないようだ。ガッカリ。一応と思って、リブロへ。そうしたら、売り上げベスト10の棚の下に面出し陳列されていた。クイズダービーにおける、はらたいらぐらい頼りになるではないか。すぐに購入。


明治通りを歩いて帰る。まだ、ところどころ雪が残っている。裏道なんかは、凍結した雪がアスファルトにしがみついて残っている。前を歩いていた人が、すべって転んだ。あの雪から数日。今、雪で転ぶのは、少し恥ずかしい。ふと、自分は大丈夫かと、凍結した雪の上をわざと歩く。柔道時代の、足の指で地面をつかむという感覚を思い出す。こんなどうでもいいことをしながら帰ってきた。


自宅に戻り、食事をしてから、すぐに買って来た本を読み始める。今朝、ポプラ社の「ポプラビーチ」内にある、編集者・斉藤尚美さん(ポプラ社のホームランバッター。ベストセラーの奥付を見ればその名前があるはずだ)の日記を読んでいたら、編集したという、その本をどうしても読みたくなってしまったのだ。二階堂奥歯さんという方の『八本脚の蝶』という本である。ウェブ日記の単行本化だ。「幻想文学」などに書評を寄稿している時の筆名がこのお名前だとか。1977年生まれの女性。国書刊行会毎日新聞社の編集者であった人。2003年に自ら命を絶った著者の、最後の二年間の日記である。日記(あるいは読書日記)であり、詩であり、いろんな読み方ができる。金魚の風鈴を見ては室生犀星の『蜜のあはれ』を思い出し、乙女度全開で行ったために古書店主になめられたものの、質問などから店主に認められたり、アスタルテ書房へ行って幸せを感じたり。後半は一気に書物からの引用が多くなっていくのだが。正直、なぜ、この子が自ら命を絶たなくてはならなかったのか、自分にはわからなかった。わからないから、生きているのか、俺は。読み終えた後、もう一度、亡くなる少し前の母親と弟と街を歩く日を読むととても悲しい。親子で、どのビルが死ぬのにいいかを話し合う。母と弟は、心配でついているのだ。そして、娘の言葉を冗談ですかす。巻末には、生前縁のあった、穂村弘東雅夫中野翠さんなどの回想文も。恋人だった方の二人の思い出の中には「早稲田通りの古書店」もある(早大卒業なのだ)。どこかで、すれちがっていただろうか。一気に、487頁を読んだ。

八本脚の蝶

八本脚の蝶