週末へ向けて〜ウィークエンド・ワセダのこと〜

 高田馬場駅前、BIGBOXの古本市が終わってまもなく3ヶ月となる。年間にすると1億円まではいかないが、それに近い売り上げが早稲田から消えるのだから、お金が大変だなぁということはわかっていた。だが、他に何かが変わるのだろうか、ということはわからなかった。しかし、それは結構大きな変化だった。なにか早稲田古本街に背骨がなくなったような気がした。まず店主たちに会う機会がほとんど無くなった。2ヶ月に一度、早稲田の懇親会のようなものがあるのだが、それとてみんなが出て来るわけではない。実は5月のBIGBOX最終日から、つい最近まで一度も会っていない店主もいた。毎月の「商売」という同じ目標が無くなったので、みんな自分の店のことしか考えなくなった。全員が同じ方向を向くという無理をしなくなった。「無理をしても、それに合う見返りがある」。それがBIGBOXだった。秋のビッグイベント、早稲田青空古本祭も、この時期なのにあまり動きがない。いまだ参加者がうまらないそうだ。もちろんみんなお金は欲しい。だが、BIGBOXと違い売り上げのパーセンテージではなく固定経費なので、売れば売るほど儲かるのだが、売れないと経費が大変なことになるのだ。「古本マニア層」には縁のない軽いものも売れるBIGBOXと違い、以前より一般層が会場に来なくなった。それなりの本でなければ売れなくなった。準備が大変な割にはリスクばかりが高い催事になってしまったのだ。かつては「早稲田村」と皮肉交じりに言われた古本街も、「一丸となって」何かをやる機会はなくなりつつある。


 2007年8月3日。わめぞの新イベント「ウィークエンド・ワセダ」(以下ウィーワセ)が始まる。早稲田の二店舗、古書現世立石書店の店頭と店内の一部棚を開放し、複数店舗の本を並べる店舗内古本市である。両方併せて3日間で、のべ2000冊。上記の理由でこのイベントを始めるのか、と言われれば、「はい」でもあり「いいえ」でもある。それはこういうことである。本当にやりたいウィーワセは、この形ではないのだ。


 実はウィーワセの案が出たのは外市よりもはるか前、不忍ブックストリートの第1回一箱古本市の後だった。参加させてもらって、とても楽しかった。いくつも会場がある回遊式というのが、とても面白かった。面白かったのだが、そこは職業・古本屋。一箱じゃなくてもう少し量を多くして売りたいと思ったのであった。そして回遊式というところに、早稲田がかかえる問題を解決できる何かがあるような気がした。「早稲田は店舗が集まっているということを全くいかしていない」というのは前から言われていた。「BIGBOXはともかく、店がつまらない」とも言われていた。店が極端に売れなくなった90年代(それも店の努力不足であるのだが、それは置いておく)、店が売れないから、いい本は全部売れる場所(古本市など)へ持っていくということを繰り返した結果、本当に店が売れなくなってしまった。あえて言うが、BIGBOXは薬でもあり、毒でもあった。かつて、ある店が売れた日は全員が「売れた」と話し合えた。今は、売れる店しか売れなくなった。こんなことを言いたくはないが、約20年の歳月をかけて「早稲田古本街」は分断されていったのだと思う。店が、大きなひとつの場を維持するための倉庫になってしまったのだ。


 だから、自分はこう思った。早稲田各店舗の店頭にある均一棚をはずしてそこにいくつかラック棚を置いて古本市に並べているような買いやすい本を並べる。みんながやれば冊数だって結構な量になるし、お客さんがみんな早稲田古本街を歩くことになる。各自が並べるだけだから共同作業もない。この考えの一部は後に古書往来座での「外市」につながっていく。「一箱古本市」と「外市」が合体したようなもの。いうなれば同時多発外市。それが自分のやりたいウィーワセなのである。しかし、それは実現できなかった。正式に開催を議論したわけではなく非公式な場で個人的に話しただけだったが、みんな乗り気ではなかった。あちこちブログを読んだり、情報を集めている人と違い、店主たちには情報がない。このようなイベントの可能性など知る由もないのだ。店が売れなくなったという感覚があるだけなのである。実感がないものは、受け入れられない。自分も完全な自信があるわけでなし、なんとなくそのままになっていた。その後この案は少しずつ形を変え、2006年12月の立石書店早稲田移転オープニングイベント「古本市・夜/昼」になり、2007年2月からの古書往来座外市へとなっていった。今回、初日が夜開催なのは、「古本市・夜/昼」の初日が好評だったことからだ。休日にわざわざ出向くのではなく、何かの帰りに寄る事が出来る平日の夜というのは、いろいろと可能性があるように思う。


 早稲田・目白・雑司が谷の本に関係する仕事人の集まりであり、外市を開催している「わめぞ」が発足したのが2006年の秋。「わめぞ」は楽しかった。ひとつ案を出せば次から次へと案が重なっていく。どんどんやりたいことが実現していく。正直なところ、今年に入ってからは、自分の気持ちから早稲田古本街の比重は少なくなっていた。会議のたびに保守的な意見に嫌気がさす。「早稲田」から「わめぞ」へと完全に気持ちは移っていた。「早稲田という区切りはもういいや」とまで思っていた。そんな気持ちにストップをかけたのが、BIGBOX終了後の、先ほど書いたような「早稲田の空気」だった。早稲田の古本屋も、いまや70代が近い人が多くなってきた。隠してもしょうがないので書くが、店主の年齢的に、あと5年もすれば早稲田古本街の店の数は半分になってしまうかもしれない。BIGBOXが終わったという事実だけで、古本街が終わってもいいのだろうか。この雰囲気のまま、ポツリポツリと減っていくのを待つだけでいいのだろうか。もう一度、早稲田古本街というくくりで何かをやりたいと思った。でも、逆に「元祖ウィーワセ」をやるのは難しくなっていた。みんな、ますます動けないのである。新しい何かをやる気力などないように見える。それでも、立石書店の岡島さんと話し合い、段階をふんでやってみようということになった。それが今回のウィーワセなのだ。


 一軒ずつ、参加要請にまわった。本を出してくれるだけでいい、後は全部こちらでやる。そう言ってまわった。リスクを極限まで減らした形だ。参加してくれることが大事だからだ。早稲田が何も変わらずにそのままの姿で、新しい若いお客さんと、本を通して触れ合う機会を作りたいのだ。その結果もし、「もし」ではあるが或る程度の売り上げが出たら、店主の人たちの気持ちに変化がおとずれないだろうか。その結果、いつか本当にやりたいほうのウィーワセにつながらないだろうか。甘い見通しかもしれない。でも、ささやかではあるが、自分なりの「早稲田」を、自分の店を通して表現できればいいと思っている。


 今、「新しい」というと、古いものを切り離して同じような世代、同じような感覚の人が集まって行うという感じがある。「純」なもの。でも、自分は地味な道だけど、古いものの上に少しずつ砂を盛るような、そういう「新しさ」を求めていきたいと思っている。「古いもの」を「新しいもの」の、どの位置に「つけるか」。確かに古いものはうざったい。だから若者はみんな、古いものを捨てていく。「新しい」という場所に、確かに変化を求めない保守的な人間かもしれないが何かを積み上げてきた、そういう人たちの姿があることは少ない。でも、それは本当に「新しい」ということなのだろうか。本当はとても地味な作業の成果のことを言うのではないだろうか。自分は違和感があるものとも向かい合って意見を言い、少しずつ積み重ねていきたいのだ。


 参加者が決まった翌日、ある店の前を通ると店主に呼び止められた。昨日参加を決めてくれた店主だ。すると店主はこう言った。「昨日簡単に受けちゃったけど・・・早稲田でやるから義理で誘ってくれたんじゃないかなと思って。若い人だけでやりたいのに、気がきかない自分が参加しちゃって困ってるんじゃないかってさ。そうだったら俺、やめるからさ。ごめんね」。そんなことはないのだと説明した。なんとなく、そんなことを言いそうにない方だったので、ジンときた。ダンプカーのように動いていた店主が、弱気になっている姿。自分にとって早稲田は「家」だから、嫌なことも楽しいこともある。逃げ出したいときもある。でも、もう一回、ここからそういう感情を揺さぶられるような何かが生まれればいいなと思った。


 いよいよ週末、ウィークエンド・ワセダが歩み始めます。一人でも多くの人に、このイベントのキャッチフレーズである「週末は、早稲田に行こう!」という気持ちが生まれますように。どうぞよろしくお願いいたします。