B!B!S 2011 仙台1日目

いよいよ仙台へ出発の日。7時半に電話が入り、いざ車へ。今回も車組と新幹線組に分かれている。車組は運転が立石書店・岡島さん、乗車は丸三文庫・藤原、退屈男、乃木繭子、そして自分の5人。後ろには荷物。東北自動車道をグングン進む。福島入ってから自衛隊の車両なども普通に見るようになる。なんだか警視庁のパトカーが20台近く走ってきて抜かれた。どこに行くのだろうか。宮城に入るころには見える場所にある家の屋根にビニールシートが目立つようになる。みんな、ただぼんやりと窓の向こうを見ている。


仙台南ICで南部道路へ。名取川に沿って仙台市若林区今泉へ向かう。今回、仙台行きに際し、津波被害に会った場所を見ることにした。最初はあまり物見遊山で行くのも・・・と思っていたのだが、パレスチナの写真を撮り続けている高橋美香さんや、火星の庭・前野さんにも「見てみたらいい。いろいろと感覚が変わるよ」と言われ行くことにした。高橋さんは岩手の宮古でボランティア活動もされているのだが「理屈はいいから見に行きゃいいんだよ。何もはじまらないより、どう思うかはそれからでいい」というようなことを言われて背中を押された。若林区の沿岸部は多数の方が亡くなった場所である。六郷のあたりに入ると浸水した跡がわかるが、まだそれほど被害がわからない感じであった。しかし、若林区の真ん中を走る東部道路をくぐると、そこはもう、本当になにも無かった。かなり遠くに防風林が見え、そこが海岸なのだとは判るのだが、大木がそのあたりに転がり、車が溝にはまったままになっている。海に沿って北上する。荒浜のあたりはポチポチと建物の残骸が残っているが、その被害を見るととてつもない高さのあたりが粉々になっている。テレビだと、この高さや奥行きがまったくわからない。とにかくこの地区は海岸から東部道路までの2〜3キロが全部平野なので、考えただけで体験していないのに恐怖を感じる。以前の写真や動画などを見ても瓦礫撤去はある程度進んでいるとは思うのだが(近隣に積み重ねて山になっているだけだが・・・)だからといってここをどうするのか、と言えばまだまだ何も始めることはできないだろう。すべての前提が何もないのである。七北田川の手前で東部道路の西側に戻った。ほんの100メートル先には想像を絶する光景が広がっているのに、電気が点いている生活の香りがする。店も営業していて、食べ物屋ではランチメニューが宣伝されている。結果的にこの東部道路が防波堤になったようだ。この地区は仙台駅からでも約6キロ。明治通りで早稲田から新宿の伊勢丹のあたりまでの距離だ。車で10分かかるかかからないかの距離。そのような場所にこんな世界が広がっている。仙台の中心部は一部、建物の壁の崩落が見られるものの、日常的に見える、表面は。でも、これは他地区でもそうなのではないかと思うのだが、この沿岸部と内陸部の被害格差はいろんな意味で暗い影を落としているように見える。それを原発の問題が覆っている。仙台市内を見て単純に「日常」という言葉は使えないな、とも思った。車内を沈黙が包み込む。


その後、多賀城市の国道45号線を通って塩竈へ向かう。多賀城の45号線沿いは一見普通に見えるのだが、よく見ると道路沿いのフェンスなどがほとんど折れ曲がっていたり倒れている。後でホテルに入ってテレビをつけた時に偶然この地区の復旧状況を伝える特集が放映されていた。ここも少し前までは道沿いに瓦礫の山があったのだった。営業しているお店の努力を想う。東北本線塩釜駅そばにある寿司屋に入った。以前来た時においしかったので。寿司の間に「うに丼」をはさむ贅沢をしてしまった。


仙台駅方面を目指し、ついにbookcafe火星の庭に到着。健一さんと久しぶりに再会。うれしくて握手する。今回、小さな車しか借りられなかったので、荷物をずいぶん送りにしたので預かっていただいているのだ。ただ、健一さんに久美子さんがそれを言うのを忘れていたそうで「びっくりしました」とのこと(ひどい・・・)。先に退屈、繭子、向井をホテルに下ろしてもらい、空いたスペースに荷物を積み込んだ。


夕方、移動する。今日は、わめぞとB!B!Sとの交流会があるのだが、詩人の武田こうじさんがご自宅マンションのパーティールームを貸してくださることに。そこに版画家の若生さんなどの料理が出るというステキな会が。その後、松島や塩竈をまわってきた新幹線組が合流。往来座の瀬戸君がB!B!Sエプロンに首から木製てるてる坊主「晴ーリー」をぶらさげ、リュックから木の棒というスタイルで登場。完全に不審者である。一緒だった信天翁夫妻、それから古書ほうろう夫妻、水玉さんなどが集まり飲み始める。うまい料理すなー。なんだかコマ回しがはじまったり、前野さんの娘めぐたんが引きずられて遊んでたり凄い会でした。ただ飲んでいるだけだけどなんだかとても嬉しい。9時に解散。明日に備えなければ。信天翁のザキ先輩と街中にある専門学校などの校歌をでっちあげて一緒に歌いながら帰る。