Shinjuku Night #008 〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜


夜に雨が降ると聞いていたので傘を持ってきたが、降る気配もないし、道行く人が誰も持っていない。
柄にもなく素直に持ってきた自分が馬鹿なのか。そんな時に歌舞伎町で傘を持って歩いているのは実に格好悪い。今日は駅から来たので、一番街ゲートを抜けて花道通りを歩いて区役所通りの《コネジ》まで来た。ビルの入口でキャッチのマサくんに声をかけられる。
「あれ? 今日、雨の予報なんすか?」
「……護身用だよ」
「えっ?」
気にしていることを言われてついムキになってしまった。


店のドアを開けると、マスターと一緒にガールズバーの人気者、レナちゃんがカウンターに入っていた。今日はお休みなのか、ラフな格好をしている。仕事帰りのレナちゃんはキラキラと必要以上に女性さを強調している美人さんだが、今日は普通のTシャツにジーパン姿。髪も結んでいてボーイッシュでかっこいい感じだ。そんなレナちゃんが得意げにカウンターに何か広げてふるまっている。
「あっ、いいとこに来た。向井くんも好きなの食べて、わたしの奢りね」
なんだかいい感じのサンドイッチやハンバーガーが無造作に置かれている。
「うまそうだな」
いつもは他人に無関心をきめこんでいるコワモテおじさんのミキさんまでゴソゴソと物色している。おそらくこの店のお客さんで最年長、75歳のキヨタ会長(みんなそう呼んでいる。なんの会長なのかは知らない)がハンバーガーにかじりつく。
「うまいな。肉がいい感じだ」
「それね、ロコモコバーガー。あっ、そのタマゴサンドうまそうだよね」
自分はレナちゃん推薦の、どっしりとタマゴがつまったサンドイッチをいただくことに。うん、うまい。コンビニのとは全然違う。食べごたえもある。しかしハンバーガーをがっつり食ってもサマになってるレナちゃんの向かい側に座る自分を含めおじさんチームの違和感たるや。会長なんか口のまわり、デミソースまみれになっているし。
「これ、どこの?」
「お客さんに聞いたの。夜だけやってるんだって。夜中3時ぐらいまで。「クラブ愛」のすぐ近くだよ」
夜だけ営業だなんて歌舞伎町らしくていいなぁ。このクオリティならお店のメニュー使いでも良さそうだ。
「なんて店なんだい? あっ、書いてあるね。ミッ、ミッチェル? ミック?」
「会長、《マイケル》ですよ。《マイケル スープ&サンドイッチ》です」
今日は一人のマツダさんがド派手なホットドッグをくわえながら助け船を出した。
「デリバリーもしてくれるって。マスター、料理嫌いなんだから使えばいいじゃない、持ち込みしてばっか言わないでさぁ」
「なんで軽食やらないの? 儲かるでしょ、やれば。なんかいつもみんな飢えてるし」
「そうだねぇ。俺ね、酒の事だけ考えてたいの。お金なんて暮らせるだけあればいいのよ。《塩田屋》さんで簡単なつまみ買ったらあとは酒の事だけにしたいんだよねぇ」
「この変人のおかげでおいしい差し入れよく来るんだからいいじゃねぇか」
ミキさんの正論に笑いがあふれた。ひとつ余ったサンドイッチはマスターが持って帰ることにして、いつもの《コネジ》に戻った。


カウンターから出てきたレナちゃんが隣に座った。咥えタバコでジッとしているので、ライターで火を点けてやる。
「今、時間ある?」
「見たまんまだよ(笑)」
「前から、ずーーーっと気になってる店あるの。付き合ってくんない?」
「えっ、なんの店よ。それにもよるけど……」
「天下のレナちゃんがタダでデートしてやるんだから来りゃいーの!」
キッとにらんでドアを開けて出ていく。
「早く追いかけないとやばいことになるぞ(笑)」
ミキさんのからかいを背に、マスターにツケを頼んであわてて追いかけた。なかなか来ないエレベーターにやきもきして、ようやく降りると、レナちゃんは壁にもたれかかって体育座りしてタバコを吸っていた。また怒鳴られるかなと思ったが、無言で立ち上がり歩き出す。風林会館を曲がり花道通りを進む。半歩後ろを、ボディガードのような感じで歩く。いったいどこに行くのだろう。お互い無言でただただ歩く。風俗の無料案内所前で酔っ払いが店員と揉めているが、レナちゃんは一瞥もせずに進む。まぁ。ここでは日常ではある。コマ劇跡に建てられている東宝ビルの横まで来て風俗無料案内所をラブホテル街の方へ曲がった。
あぁ、ここは……《マルス》。
60年代から時が止まったような外観。ビニールテントには「天然果汁ヲ作ル店」とある。かつて、誰だったか忘れたが一度だけつれて来てもらったことがあって。その時はなんだかマスターが怖そうなおじさんで落ち着かなかった記憶がある。生ジュースだけ提供しているお店なのである。
ドアは開け放たれていた。入って右側は物置のようになっていて自転車まであるが、正面にはフルーツの入ったショーケース、外にもいくつかフルーツが盛られている。このあたりの昭和感がたまらない。4人座りのテーブルが3つ。カウンターで新聞を読んでいたママにレナちゃんが「アボカドジュース2つ!」と注文した。
「選ばせてくれないのかよ(笑)」
「教えてくれたお客さんがアボカドがいいって言ってたんだもん」
ママは「暑いでしょ」と送風機をこちらに向け、カウンターでジュースを作り始める。冬場に使うのだろう、ダルマストーブもむき出しのまま置いてある。すりガラスの窓際から何か倒れた。見ると、ラミネート加工された数十年前の雑誌かなにかの記事だ。そうだ、この蝶ネクタイのおじさんだ、前にいたのは。記事もすごい。「うちでは電話、トイレは使わせない」「カップル、若いやつはめんどくさいから来なくていい」メディアに向けて堂々の発言である(笑)。昔の印象は間違っていなかった。あの時はちょっと怖く思ったが、今はむしろ会いたかったなぁ。ジューサーが、ガガガと音をたてている。


「あのさ……聞いていいのかわからんけど、最近、ジンさんってどうしてるの? あんなにいつも一緒にいたのに」
ジンさんはレナちゃんのキャバクラ時代からのお客さんで、《コネジ》にレナちゃんを連れてきたのもこの人だ。とても寡黙な人で、レナちゃんもまったく「男の危険」を感じず、よく遊びに行ってたらしい。ジンさんもいろんな場所にレナちゃんを連れて行って視野を広げてあげているようだった。しかしながら《コネジ》でも「本当はつきあってる派」と「お友達派」に分かれているのだ、本人たちの知らないところで。
「ちょっと前から連絡ないよ。みんな知らないと思うけど、ジンちゃん結婚してるんだよ。だからわたしからは連絡しないの」
「ふーん。いや…なんだ、ほら、どうしたのかねぇ」
「言っとくけど、ホントにジンちゃんとはなんにも無いんだかんね。一度もそういう雰囲気感じたことないもん。ここまでそういう感じで会ってるとホントのお兄ちゃんみたいにしか思えないかんね。だからレナ寂しいよ。男だったらどーでもいいもん」
なんでこんな話題を振ってしまったのだろうか。最近ひんぱんに《コネジ》に一人で来ているのでつい気になって聞いてしまった。
「おまちどうさま」
ここで助け舟。アボカドジュースが、キレイなお皿に乗せられて出てきた。いい緑。なんだかモッサリした感じなのかと思ったがまったくそんなことなく、とても飲みやすく仕上げられている。ほのかな甘み、なにか入ってるのかな。レナちゃんはクンクンと匂いを嗅いでから、両手で大事そうにコップを抱えてゴクゴクと飲んだ。「おいし」いつものレナちゃんの表情に戻った。大人っぽい見た目の彼女だが飲み方が子供っぽくて愛らしい。


「このあいだ、カナと飲みに行ったんだって?」
「いや、偶然会って一杯おごってもらっただけだよ。《やんばる》で(#004参照)」
「なんか相談とかされたの? カナに」
「いやいや、全然。ていうか、レナちゃんのことすごく尊敬してるんだね、彼女。いつかレナちゃんみたいになりたいって。そんな話ばっかだったけど」
「カナ、純粋だからなぁ。わたしさ、カナは夜の仕事、やめたほうがいいと思ってるんだよね、正直」
すりガラス越しに、夜の歌舞伎町を行き交う人たちの影を見る。昔だったら余計なアドバイスをしちゃいそうだが、今はそういうことをできなくなった。できた感情の隙間を、ジュースを飲む仕草で埋めている。
「カナはいつも私の今の年までに追いつくって言ってくれるけど。でもさ、それ聞くとさ、自分はどうなるんって不安になるじゃん。今だってこの世界じゃ年齢的にアウトだかんね、わたし」
「若く見えるけどね」
「でもね、今の店のメンバーの子ってほとんど20代前半なのね。みんな、ちょっと稼いですぐやめてくの。その横で30過ぎのわたしはガッツリ生活かけてるの。正直つらいよ」
レナちゃんが自分の事を話してるようでいて、カナちゃんのことを思って自分のことを話しているのはよくわかる。自分もこの前カナちゃんが「今のレナちゃんの年になる8年後にレナちゃんみたいになる」って聞いて、同じことを思った。この先、なにかが好転しそうな気もしない。そんな中で、ほんの少しだけ先の自分のこともわからず、ただ一日を終わらせるために新宿に来ている。これが、8年後に同じことを続けているとは思えない。でも、それ以外の道は見えない。「夢」なんて、すっかり恥ずかしい言葉になってしまったが、そうじゃない。信じられるなら、信じた方がいい。そうだよな、レナちゃん。
「《コネジ》のみんなが住んでる老人ホームみたいなとこ、いつかできればいいな。それなら生きてけるよ」
「普通の人、入居できないよ、濃すぎて(笑) いつか、そんなこと考えなくなる時がくるよ。続きそうで続かないじゃん、いいことも悪いことも」
「そっかなぁ」
自分がジュースを飲み干すのを見て、レナちゃんも飲み干した。ちょこっと窓を開けてみたら、向かいのニューハーフパブの呼び込みに出ていたオネエさまと目が合う。笑顔で手招きをしている。苦笑している自分の横で、レナちゃんが嬉しそうに手を振った。
「あの娘たち、男とは思えないねぇ。あたしより女っぽいわねぇ」ママの一言で、場がなごんだ。


「あっ、俺《コネジ》に傘忘れてきちゃった。降ると思って持ってきちゃったんだよ。戻って飲もっか、もうちょい」
「そだね、めんどくさいことは酒で流すか!」
また、花道通りを二人、無言で歩く。レナちゃんがスマホを見て「あっ」と声を出す。
「カナ、店が終わったら来るって。よしっ、サンドイッチまた買ってくるわ。向井君、先行ってて」
レナちゃんが走り出す。だるそうに佇むホストたちをスルスルと抜けて走っていく。その風景の、生ゴミの山も、下品な看板のネオンも、美しく見える、俺たちの夜よ。

◆歌舞伎町地図
http://www.d-kabukicho.com/kabukicho-map.html
◆マイケル スープ&サンドイッチ
http://michaelsoupsandwich.wix.com/michael
◆塩田屋 歌舞伎町の24時間スーパー
http://www.shiodaya.co.jp/html/shop.html#shinjuku01
◆天然果汁ヲ作ル店 マルス
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13112971/