Shinjuku Night #007 〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜


明治通り新宿六丁目交差点角のファミリーマートが目に入ってくると、ちょっとホッとする。早稲田から歩いて、いつも曲がってしまう職安通りをそのまま直進するとその場所がある。このファミマは新宿繁華街の入口のような場所だ。灯台の灯りのように存在している。
「新宿眼科画廊」がある小道を曲がれば歌舞伎町やゴールデン街、目の前のY字路を左に行けば五丁目の三番街や二丁目、右に行けば伊勢丹などがある三丁目から南口方面へと続く。薄暗いこの交差点に立ち、今日のルートを考えて立ち止まる。少し悩んでこの場所から始まる新宿の夜は、ちょっと特別な感じがする。


たまには三丁目で飲むか、と思い、でもやっぱ歌舞伎町かな、と風林会館へと続く道をふらふら歩いて《サブウェイ》まで来たら結局、横の路地を曲がっていた。吉本興業から漏れるわずかな灯りと対峙してゴールデン街のネオンは今日も静かに存在している。自分はゴールデン街が嫌いだった。あくまでもそれは個人の思いで、その独特の客同士や店主との距離感とか、周りがプラスに感じていることを嫌いなのだからしょうがない。また、自分が新宿を離れるころにはすでに新しい店主の営む店も出現していたが、そういう店を「あんなのゴールデン街じゃない」とか「今のゴールデン街は観光化されたからもうダメ」など、得意げに話す常連さんたちのふるまいも、気持ちはわからないでもないが本当に嫌で仕方なかった。あと文化的なイメージも苦手で、自分は過去の新宿から生み出された芸術的なすべての「何か」もあまり興味は無いのだ。といいつつ結構行っている。それにゼロ年代あたりからの、「居酒屋系」の進出したゴールデン街は好きなのだ。本人の感情なんて関係ない、それがゴールデン街というものなのかもしれない。三番街のゲートをくぐる。


少し首を上に傾けると、手づくり感あふれるビニールシートの看板がぶらさがっている。細い、自分が通るとつっかえそうな階段をのぼる。のぼりきってふりかえりドアを開けると《めしや あしあと》がある。天井は低く、カウンター5席しかない食堂である。先日、ブックギャラリーポポタムの大林さんと久々に訪れ、すっかり気に入ってしまった。今日もカウンターはママの息子さん。若いのに気持ちのいい会話での接客がすばらしい。「できるものだったらメニューになくても作りますんで」とリアル『深夜食堂』のようなことまで言ってくれる。チューハイをもらって、今日は先日来た時に初めて食べて気に入った「いわし明太子」を定食でいただくことにした。いわしの腹に明太子を詰め込んだもので、博多では定番らしいが知らなかった。こちらでは、ボードにあるメニューにプラス500円でごはん、味噌汁、さらに一品つけてくれる。携帯いじりながらぼんやり待ってると、横にいた先客の、俳優・斉藤暁に似た50歳ぐらいの男性が話しかけてきた。
「よく来られるんですか」
「いえ、まぁ、ホントたまにです」
「あたし、初めてで。よくわからないけど『めしや』って書いてあるから思い切って入ってみたんですけど、いいお店で」
「当たりですよね、ここは」
「昨日はじめて来たんですよ、ゴールデン街に」
「あっ、このあたりの常連のかたじゃないんですか」
「ええ、あたし、四谷のほうで飲食店やってるんです。で、毎月はじめのころ花園神社に、店に置いてあるおもちゃみたいなやつなんですけどね、招き猫を持って参拝に来るんです、先代の親父が続けてきた風習なんですけど最近はあたしが」


よく焼けたいわし明太子が出てきた。この間食べて、ずっと白米で食いたかった。幸せすぎるいわしの脂よ。
「あっ、すんません、続けてください」
「あぁ、おいしそうですね……。あたしもそれにすればよかった……。あっ、すいません、で、今月も昨日来たんです」
「その時に初めて?」
「昨日、今は栃木に住んでる兄が仕事で帰ってきたんですね、こっちへ。で、新宿でメシ食おうということになって、面倒なんで花園のついでに食事することになったんですよ。兄の好きな台湾料理の《青葉》行ったんです、知ってます?」
「もちろん。コマ劇の裏すよね」
「はい。そこですでにベロベロだった兄がゴールデン街行きたいって言いだしたんです。こっちにいたころにはよく行ってたらしくて。あたしは全然知らないから兄について行って3、4軒ですか、飲み歩いて」
「それで気に入って今日もというわけですか」
「いやいやいやいや、違うんです。どこかに置き忘れてきちゃったんです、招き猫」
「えーっ、まずいじゃないすか」
「朝、兄はうちじゃなくてホテルだったんで電話したら、そもそもゴールデン街来たこと憶えてないんです。あたしも店がどこかとかもう全然憶えてなくて。今日、あわてて昼に来たらほとんどお店閉まってるし、それでさっきまた来てみたんです。でもどこから探していいのかわからなくてまずは腹ごしらえということでここに来たんですけど。親父が激怒しているし、もうどうしていいかわからなくて」
「なんかヒントになるようなこと憶えてないんですか」
「狭くて、カウンターがある店だったことしか……」
「それ、ほとんど全部ですよ……」
食べ終わって、酒も空いた。もうちょい食べたく、もうちょい飲みたい、ちょうどいい感じだ。結局、男性も一緒に店を出た。
「これから一軒ずつあたってみます」
「見つかるといいすね」
面白そうだから手伝いたい気持ちもあるが、いくらなんでも大変すぎる。中途半端はよくないので、さらりと別れた。


そのまま三番街の奥の方へ歩いていく。赤ちょうちんのある《ばるぼら屋》の前を通り過ぎてから「んっ?」と思い戻って覗く。あっ、カジさんだ。カジさんは《コネジ》のお客さんで、以前に書いた思い出横丁の《カブト》に初めて連れて行ってくれた某社の編集者である。自分が戻ってきてからは初めてだった。
「カジさん!」
「うわぁ、なんだよ、懐かしいなぁ」
空いていた横に座りキンミヤ梅割りを頼む。
「最近、戻ったんすよ。《コネジ》もよく行ってるんすけど、カジさん会わないすね」
「なんか去年から行ってないんだよね。最近独りで飲みたいこと多くて。あそこ、独りで行っても知り合いばかりでそういう飲みにならないからさ。あっ、これ食べてよ」
カレーと焼きそばをつまむ。カレーは煮込みベースでめちゃくちゃうまい。パンにつけて食べる。このお店は鉄板があってお好み焼きとかもおいしいのだ。先にも少し触れたが、自分がいなかった間にゴールデン街は「居酒屋的」な店や、食事しながら飲める店が増えた。新しい店主によるコンセプトバーなどがよく喧伝されるが、「一軒目使い」ができる店が増えたことこそゴールデン街にとってとてもいいことだと思うし、自分も好きだ。
「俺ね、やめて実家に帰ることにしたんだわ」
「えーっ、まじすか?」
「なんかこう、本を作る気力というか、モチベーションが無くなっちゃったんだよな。潮時かなーってな。もうずいぶん前から思ってたことだし。なんかさ、同じ10円玉なのに裏はいいけど表はダメみたいなさ。毒舌っぽいのは本音だからよくて、優しい感じのは嘘くさいっていうようなさ、単純なことを自慢げに語るやつがまわりに増えちゃってさ。そんなもんじゃないじゃん、キレイごとの中にだって悪意とか狂気とかあるじゃん。どっちもさ、幅があるかどうかじゃん。もうさ、いちいち説明するの嫌になっちゃったんだよね、俺」
ぼんやり聞いていた。最近の自分には意見を重ねるだけの気力がない。でもカジさん、変ってないなぁ。口をすぼめてチビチビとキンミヤを飲む。
「ああ、ごめん、興奮しちゃった。とにかくさ、なーんも決めてないけど、まずは帰るわ、地元に」
「コネジのみんな、知ってるんすか?」
「いや、だから店行ってないからさ。言っておいてよ」
「そりゃないすよ。ちゃんと話した方がいいすよ。たまにカジさんの話、出ますし」
「お前が言うなよ(笑) 何年行方不明になってたんだよ」
「まぁ、そうすね、確かに……」
それを言われたら何も言えない。
「でも、言わないほうがさ、戻って来られるような気もするんだよね。うまく言えないけどね。よし、帰ろう」
カジさんは自分の代金も併せて払ってくれた。「またな」。明日も会うように、軽く肩に手を置いて挨拶して帰っていく。道の左右のネオンも何事も無いように見送っていた。


ゴールデン街の道を歯ブラシのブラシに例えると、それを束ねている柄の部分になる「まねき通り」を経て「G1通り」を抜けて帰ろうかと思ったら、道の端であのおじさんが胡坐をかいて座り込んでいた。目は虚ろで、一目で首にまったく力が入ってないのがわかった。
「ちょ、ちょっと、大丈夫ですか、何があったんすか」
「あっ、いやぁー、いやぁー、これはもうー、いやぁー」
心配することじゃなかった。ただ酔っているだけである。この様子では招き猫は見つからなかったろう。近くのコンビニで水を買ってきて飲ませてあげた。渡辺正行のコーラ一気飲みかのごとく飲み干す。枯草が水で甦るってのは、こんな感じなんだろうと思えるかのごとくシャキッとしてきた。
「大丈夫すか?」
「あああ、すみません。なんだか聞いて回ったらいろんな人が『がんばれー』とか言って酒奢ってくれて。悪いんで飲んでたらもう探すどころじゃ無くなっちゃって。しかも最後の店でほら」
急に半立ちになりポケットの中をまさぐると、クシャクシャの1000円札といくつかの500円玉を出す。
「3千と5百円。せっかくだからゴールデン街楽しんでけってお客さんたちが寄付くれたんですよぉ〜」
急に涙を流し始める男性。いい話だ。いい話だが、自分も酔っているし面倒くさい。そろそろいいかと「じゃっ」と軽く手を振って歩き始めた。
「あのぉ」後ろから声で引っ張られる。
「もし、よければですよ。よければなんですが、さっき回ってたらおいしそうな串揚げ屋さんがあって」
「あぁ《どんがらがっしゃん》すね。そこの角の」
「このお金で、一緒に行きませんか。奢りますんで、人のお金ですけど……」


あなたの招き猫は、もうこの街のものになっているんじゃないかなぁ。目の前のあなたを見ていると、そう思う。この街で、無くしたものを探すなんて本当に意味が無い。それで、いいじゃないすか。
名前も知らぬおじさま、行きましょ、次へ。

新宿ゴールデン街
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