Shinjuku Night #009 〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜


購入締め切りのアナウンスが流れている。
予定の無い日曜日、そういえば今年改装されたんだっけかと気になり、新宿場外(ウインズ新宿)へやってきた。かつての不快指数100%だった建物もすっかりキレイになり、いつのまにか最低購入金額も1000円から1点200円以上100円単位という、まぁそれなら買えなくもないというものに変わっていた。毎週土日共に購入していた十数年前のようにレースを追えていないので馬名を見てもチンプンカンプンだが、父や母の名前を見ると一番熱心に見ていたころの馬たちで、それだけでも身近に感じられる。競馬は本当に「血のスポーツ」なのだ。


家を出るのにとまどって、結局、最終レースしかできなかった。
そして結果は言うまでもなくダメだった。自分は二番人気だった田中勝春騎乗の馬から買ったのだが、その馬は後方を進み、見せ場も無いまま沈んだのであった。正直、買った時点でダメだろうなとは思っていた。最終レースで人気の勝春を買うというのは、理屈ではなく来ないのである。それでも、終わって飲みながら勝春の悪口をブツブツ考えたり話したりするのは本人には悪いのだがとても楽しいものなのだ。ゆがんだ満足感を持ちながら、建物を出る。買い物帰りらしい人びとで賑わう昼の新宿もたまにはいい。感じる人の流れもまた違う。なんかこう、つられて自分の歩き方も変わるような気がする。
 これからどうしようかとキョロキョロしていると、中途半端なメシを食って出てきたので腹が減った。たまには長野屋食堂に行くかと思いつく。甲州街道下のトンネルをくぐり、複雑に人がすれ違う新南口前にてポツリ昭和の雰囲気を残す店に入る。


最終レースも終わり、これから夜の一杯という人も混じり、店内は盛況だった。テレビの隅の、二人席に相席で座った。向かいのおいちゃんは独り競馬反省会中。書き込みすぎて新聞がアウトサイダーアートのようになっている。殺人予告のような文字で書いてある「大勝負」という文字も気になるところだ。
レモンサワーと肉豆腐定食をたのむ。ここの肉豆腐は酒のつまみだとやや甘く感じるが、ご飯にのせると自分的にはホームランなのである。厨房は上にあり、小さなエレベーターが「ブー!」となるとおばちゃんが中から食いものを出してお客さんに運ぶ。比較的すぐに出てきた。そのままどんぶりに肉豆腐をすべてぶっかけて丼にして食らう。後ろのおじさんが「男が香水なんていらねぇだろ! 石鹸で顔洗えば十分だ!」と誰に対してだかわからないが一人怪気炎をあげている。こういうBGMは好物である。また、違う人が会計時に尋ねていて知ったのだが、この食堂、なんと来年2015年で100年目を迎えるのだという。関係ないのに自分まで誇らしい気分になってついレモンサワーをおかわりする。


食い終わって、レモンサワーを飲みながら、時間を持て余して自分も新聞を広げると、前のおいちゃんが声をかけてきた。
「にいさん、どうだったい?」
「最終やってぶっとびました、オケラっす」
「どれ買ったん」おじさんはクシャクシャの東スポ競馬面を広げる。
「勝春から流しちゃって……」
「だぁーめぇーだぁーよぉ〜。勝春じゃ無理だわー」
「まぁ、そうなんすけどねぇ。先輩はなにから?」
「おれ? あのねぇ、実はねぇ、勝春……。ダハハ! なんかなぁ、買っちゃうよなぁ!」
おいちゃんはグラスに残りのビールを全て注ぎ、そのまま一気に飲みきった。外の色が、少し落ちてきた。
「そうすよねぇ(笑) で、本日の儲けはどうだったすか?」
「まぁ、トントンだな」
ギャンブル好きの言う「トントン」はだいたいが「負け」である。気づかないふりして話の続きを聞く。
雷電さんに奮発して100円入れてきたんだけどなぁ。ほんとなぁ」
「なんすか、雷電さんって」
「知らねぇのかよ。新宿場外から明治通りわたってすぐよ。新宿高校の横っちょにあるお稲荷さん。雷電稲荷っつんだよ。俺はいつも馬の前にはお参りしてんだ」
全く知らなかった。しかし雷電稲荷ってすごい名前だな……。区役所通りの稲荷鬼王神社もすごいが、どちらも新宿らしくていいではないか。
「先輩、お先です。ちょっと、雷電さん見てきますわ」
後ろの男はまだ一人、空気と話している。


一度新宿場外に戻り、そのまま明治通りまで行って信号を渡り、しばらく歩くとすぐに連なる鳥居が見えてきた。場所にするとバルト9の裏手で新宿高校の真横になるが、このあたりの静けさはこのあたりの何処とも違う気がする。盗難防止なのか、金網に入れられたお稲荷さんたちに囲まれて自分も手を合わせた。この神社は「源義家が奥州征伐の際この場所で雷雨に阻まれたが、一匹の白狐が義家の前で三回頭を下げたところ雷雨が止んだ」という伝えがあるそうだ。自分はあまりこういう由来などは気にしない。この場所に残っている、それだけで充分だ。うん、なんだか満足だ。やっぱり名前がいいよな、「雷電」だもんな。周りも少し散歩してみる。ずっと昔から遠くからも見える看板で名前を知っている「新宿ビジネスホテル」が横にある。その向こう側も素っ気ない安宿が並んでいて、看板を見ると一泊2700円なんてのや、共同部屋1800円なんてところもあるが、人の気配があるのかないのかわからない。まぁ、この地のかつてあった何かの名残なのだろう。ここから見えるドコモタワーも、バルト9も、なんだかいつまでも届かない蜃気楼に見えるような場所だ。新宿駅から数分と思えない。まぁ、うちの店だって興味のない人から見れば同じようなものなのかもしれないな。アスファルトに熱を残しながら、静かに陽が落ちていく。突然、一軒の宿屋のドアが開いて、ランニングシャツ姿で団扇片手のおじいさんが出てきた。それを合図に自分は路地を出た。


金が無かった。いつも2軒ぐらい飲んで足りるぐらいだけの金しか財布に入れていないので、競馬ですった今日は本当にすっからかんになっていた。これから飲むなら《コネジ》でツケで飲むしかない。トボトボと明治通りを歩いていたら、携帯の電話がなった。"《コネジ》のお母さん"ことリツコさんからだった。
「あんた今、伊勢丹とこいたでしょ」
「えっ、どこから見てるんすか」
「タクシーで通ったらでっかいのが歩いてるの見えたんだよ。あんた暇?」
「暇は暇なんですが、金、すっからかんなんすよ」
「いいもん喰わしてやるから来なよ。金出すからそっからタクシー乗って赤札堂の向かいに止めてもらいな。そこで待ってるから」


よかった。今日はリツコさんにのろう。言われたままにタクシーをひろって区役所通りと職安通りがぶつかるところにある赤札堂前を目指す。リツコさんは大久保にある某店のオーナーさん。他にもあれこれ複合的に事業をやっているらしいが、自分レベルでは教えてもらえない。60は超えているらしいが、そうは見えない。50代前半ぐらいのバリバリの女社長といった感じである。《コネジ》常連のミキさんいわく「自分から泥沼に入って咲かせたくない花を咲かせた女」。リツコさんは早い時間、自分は遅い時間なのでめったに会わないが、居合わせた時は自分の貧乏を憐れんでか、その場のお勘定は面倒見てくれる神様のような人なのであった。
 到着すると、そこにはいつもの派手な感じのリツコさんが立っていて、車が止まると運転手におつりいいから、と言って1000円札を渡した。
「リツコさん、すいません。ガチで金無くなっちゃって」
「いや、この間のおわびだよ(#006参照)。あのあとユウキたちとメシ食ったんだって?」
「はい、つるかめで。そのあと相撲とらされたんすよ、弁天様んとこで」
「あいつはまぁ(笑)じゃ、行こ。わたしもお腹すいたし」
信号を渡って明治通り側に曲がる。リツコさんの行く店なんて、きっといいところに違いない。期待感がはずみそうになった時、リツコさんは信じられない場所に入っていくのであった。都内で店舗展開しているスーパー《赤札堂》。
「えっ、どういうことすか」
「どういうことってこういうことよ。そこで外飲みよ。揚げ物、結構いけるよ。酒とつまみ、自分で選びな」
ホントかよ! とはいえ自分に選択権などないわけで。あらためて今の自分の悲哀を感じる。リツコさんがガシガシとプラスチックのパックにつめている揚げ物を自分も選ぶ。
「これ、オススメ。食べな」
【絶対食べてほしい金星メンチ】とあった。ひとつ119円。少し大きめのメンチをパックにつめる。アジフライも入れた。最後にチューハイの缶を2本、リツコさんが持っているカゴに入れてレジに進む。リツコさんがレジ打ちを終わったパック2つをカゴから抜いて「温めといて」とこちらに渡す。入口横にある素っ気ない白色の電子レンジで揚げ物を温める。チン!の音とほぼ同時に開けて取りだす。熱すぎて買い物かごに入れて外に出た。締め切りのドアの前に座っているリツコさんの横にこしかける。
「じゃ、乾杯。なに、不満?」
「いえ、そんな」
「少し風も出て来たしいいじゃないさ。昔はミキとだってそこいらの道端で飲んだもんだよ」
「へぇ、ミキさんが。想像できないなぁ」
「お互いよくここまで生きてきたと思うよ。昔は大喧嘩もしたし。仕事のくされ縁も長いからね」
熱いメンチカツを頬張る。実にうまい。でも、家で食べたらおいしさに「意味をつける」ことはしないかもしれないな。そんなおいしさ。
「自分はミキさん怖くていろいろ聞けないすもん。あっ、リツコさん、自宅はどこなんすか?」
「まぁ近くないとこにあるにはあるんだけどね。事務所で寝ちゃうね、簡易ベッド置いてあるからさ。結局さ、このあたりが居心地いいのよ、仕事に便利だからって言ってるけど。大久保もチャラチャラした看板増えたけどさ、あたしんとこ辺りはそんなに変わらないしね」
「リツコさん、遠くに住んでるから早い時間に飲んで帰るのかと思ってた」
「わたし、夜が嫌いなんだ。もうさ、早く消したいの、一日を。ぱっと寝て早送りしちゃいたいのよ」
「へぇ、自分はリツコさん風に言えば逆に一日を消すためにここに来てますからね、夜に」
「それは昼の続きだよ、夜っていうか。あんたは自分の外側に、わたしは内側にあるってこと」
リツコさん、こんな言葉を発する人なんだな。すぐに理解できないけど、なんだか深く入ってくる。油で汚れた手を拭こうとしてポケットからティッシュを出そうとしたら、昼のハズレ馬券が落ちた。
「なんだ、それでオケラになったのか」
「えぇ」
「あんたは、ギャンブル駄目そうだなぁ。後先考えるタイプだもんなぁ」
「はい(笑)」
「でもさ、わたしとかミキみたいにさ、今が永久に続くと誤魔化してずっとやってくのもね。この年になると人の言葉じゃないと自分を騙せないのよ、そういうの避けてきたのにね(笑) だからたまにはね、話したいわけ、君みたいなのと」
「へぇ。自分じゃよくわかんないけど、なんか、うれしいす、ハハ。あっ、そうだ、永久と言えば南口の長野屋さん、来年で100年ですって。凄いすよねぇ」
「そう。100年かぁ……」
リツコさんが立ち上がり《赤札堂》に入ると、しばらくしてカットされたスイカを買って戻ってきた。
「ちょっと夏っぽいのもね」
「わぁ、今年、初スイカですよ」
イカはまだ水っぽくて、甘みも薄かった。それでも、食べている満足感はあった。
「花火とか観に行きたいなぁ。人混み嫌いだから行かないすけど。ああいう場所が素直に楽しめたらいいんすけどね」
「わたしも記憶ないよ、花火観に行くとか。キレイだとは思うんだけどね」
「いつか。いつか《コネジ》のみんな誘って行きましょうよ、花火」
「そうねぇ。まぁ、いつかね」


二人でスイカ片手に、薄暗く素っ気ない職安通りの空を見ている。そんな、日曜日。

◆長野屋食堂
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13089386/
雷電稲荷神社
http://www.tesshow.jp/shinjuku/shrine_shinjuku_raiden.html
◆新宿四丁目 安宿街
http://yama.ne.jp/business/index.shtml
赤札堂 大久保店
http://afd.ababakafudado.co.jp/shop_okubo.html