Shinjuku Night #010〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜


「いいか、絶対後ろは振り向くな。それから前後に移動できるのは《天下一品》の店舗幅だけ。あんまり横移動はするな。注意点はそれだけ。いいか、きっちり一時間。ただ立っていればいい。頼むぞ」
《バー・コネジ》のビッグパパことミキさんがポケットから赤いハンカチを取り出し、金髪でホストっぽい風貌であるケンタの胸のポケットに入れた。よく見えるよう、半分ほどを外に出しキレイに折りたたまれた。軽くケンタの肩をポンと叩くと、ミキさんはコマ劇跡のほうへ消えていった。ケンタの眼は大きく見開いている。もうすぐだ。もうすぐ、日が変わる。


一週間前の事だった。《コネジ》店内に甲高い声が響いていた。背が高い細身の金髪青年。まだ二十代半ば。名前はケンタ。つい最近、ミキさんが連れてきて、それからはちょくちょく一人で顔を出すようになった。今日はミキさんも一緒。ケンタは流れ流れてここにたどりついた男だった。最初はどこかのキャバクラのホールをやっていたのだが、あまりに客対応ができず、店長の知人がやっている某風俗無料案内所に移動。もちろん、なおのこと客対応が大事な仕事なのでここでも使い物にならない。普通、バイトの縁など、当たり前でどんどん切れていくものだが、なんとなくケンタは人をひきつけるものがあるらしく、知人の店を紹介され続けてミキさんにたどりついたらしい。現在はミキさんの知り合いがオーナーの、新宿に比較的近い格安ラブホテルで働いている。
「もう、世の中、ぜんぜん不景気じゃないすよー。朝からデリで満室がずっとすからね。うち、泊りのカップルなんてほとんどいないすもん。だからめっちゃ忙しいんすよ。1時間ぐらいで清掃とかまわってくるんすもん」
「ようやくおまえでもできる仕事見つかったんだからガタガタいうなよ。どんどんクビにされてまわってきた不良物件の世話する身にもなれよな、オイ」
ミキさんがくわえ煙草でからむ。
「自分は本音勝負だから嫌われやすいんす。自分の気持ちに正直にいたいんすよねぇ」
「バカ、本音言うから嫌われるなんて自己弁護してるやつはな、違うんだよ。視野の狭さを馬鹿にされてるだけだ」
「そんなことないす」
ケンタは無愛想に水割りを飲み干し、雑にグラスを置いた。カウンターの反対側で聞いていたガールズバー勤務のカナちゃんが話に入ってきた。
「ケンタさー、ホントにダッさいよ! 文句は仕事できるようになってから言いなよ、このガキンチョー!」
「あんただってそんな年、変わらないじゃんよ! レナさんのおっかけみたいなことやってるあんたもダサいよ!」
「なんだぁー!」
マスターがグラスを拭きながらニヤニヤと楽しんでいる。前はここでこんな子供のケンカみたいなこと無かったからそれはそれで嬉しいのだと思う。他はすれっからしの人ばっかだもんな……。カナちゃんが一人テーブル席に逃げて火が小さくなり、ミキさんがカナちゃんにカンパリオレンジをおごって鎮火した。


しばらくはミキさんと一緒にケンタの女性武勇伝を黙ってふんふんと聞いていたのだが(よくもまぁお世話になっている、しかも滅茶苦茶怖いミキさんの前でそんな話できるねと思いながら)、どうにもこの男、火種をつくる男なのである。
「ミキさん、俺、このままじゃなにもしないまま三十になっちゃう思うんすよ。でも、旗上げないで人生終わりたくないんすよ。もうちょっと、ピリッとした仕事ないすか? ちょっと危険でもいいんす。自分、もっと毎日が冒険みたいな仕事やりたいんす」
いつも近くにいて知ってるだろうに、ミキさんが一番嫌う感じの言葉を平気で言う。
「同じような毎日で気が狂いそうすよー」
なんとなく、知らんぷりしてグラスをかたむけていたら、ミキさんが無言で店の外へ出て行った。みんな、もうどうしていいかわからない不思議な汗をかいているというのに、ケンタはまだブツブツと呪詛をはいている。五分ほどして、ミキさんが戻ってきた。
「ケンタ、お前、本当にリスク背負う覚悟あんのか?」
「大丈夫す。やる時ゃ、やるっす」
「よし。来週だ。一週間後のテッペンから一時間。セントラルロードの天一の前で、ただ立っているだけだ。簡単な目印はつけさせてもらう。報酬は3万円だ」
一時間立っているだけで3万円……、怪しすぎる……。カナちゃんがわかりやすい、目を皿のようにした顔をしている。
「そっ、それ、どういう意味の仕事なんすか……」
「俺は人集めだからわかんねぇよ。クライアントの意向はしらねぇ。3万円のリスクはあると思っていい。まぁ、あたりまえだけど命の危険とかはねぇから。それは保証できるわ。どういうことか下りてこねぇんだから、お前が知る必要がないってことだ。つまり立ってりゃ勝手に何かが終わるってこと」
各々の静けさがバラバラに宙を漂い、行き場をなくしたときに、ケンタが沈黙をやぶった。
「やります! やらせてください!」
それは自分が初めて見る「やる気に満ちた青年ケンタ」の姿なのであった。
「向井、カナ、お前ら立会人やってやれ。遠くから見ててやれよ、いいだろ?」
ミキさんがニヤリと笑った。頭が真っ白のまま、首をタテにふった。


そして当日、みんなで《コネジ》に集まり、セントラルロードまで歩いて、冒頭につながるのである。偶然、店にいた西口会社員のマツダさんもついてきた。自分、カナちゃん、マツダさんは「ドンキホーテ」ののやや劇場街側にある「ファミリーマート」のあたりで待ち合わせしている風を装い立つことになった。背が高く金髪のケンタはとにかく目立つ。しかも赤いハンカチを胸元につけられているのだからちょっと異様な男に見える。少し離れた天一前にいてもよく見える。時計が、零時をまわった。
 セントラルロードは新宿駅側からコマ劇のあった場所までを結ぶ歌舞伎町の中心通り。ドンキホーテがあるあの通りである。他の道と違って歩道の幅も広いのであまり圧迫感が無い。この時間だと、やたらキャッチが多いが、ただ立ってるだけならそんなに何かがあるという感じをもたない場所だ。しかしながら、何が目的なのかわからないとなれば、この道のすべてに対して懐疑的にならざるを得ない。早くもケンタのまわりにはキャッチたちが怪しげな眼で見ている。まぁ、客には見えないだろうからそういう声掛けはないだろうが、「顔の知らない同業」だと思われるのが一番めんどくさい。場所には場所のルールがあるからだ。しばらくして二人組が声をかけはじめた。ケンタが真剣な顔でしきりになにか話している。
「ねぇ、向井君、ホント大丈夫なの、コレ……」
さっきから落ち着かず立ったりしゃがんだりをくりかえしているカナちゃんが聞いてきた。
「俺に言われても……。マツダさん、わかります? この意味」
「知らないよ。でもこんなとこでおかしなことおきねぇだろ。カメラあるし、昔の歌舞伎町じゃねぇんだし」
カナちゃんを見ると、眉毛が見事なまでに八の字になっていた。


二人組が離れた。何をやってるのか確認とられたのだろうか。ケンタは手を前に組んでうつむいて立っている。今度はケンタが立っている横にある電話ボックスに白ジャージの男が入って携帯で話し始めた。遠くからもケンタの緊張が伝わってくる。本当はいつもと変わらないのかもしれないが、平日深夜にしては人が多い気もする。男が電話ボックスから出てケンタのななめ後ろに立ち、再び携帯で話し始める。カナちゃんが駆け足で少し前に出る。
「カナちゃん、まずいって!」
「だって……」
男が去る。長い。もう1時間以上経っている気がするが、まだ半分だ。本人はもっと長く感じているだろう。赤いハンカチのせいだとは思うが、すれ違う人間がみんな振り返る。人間、こういう時はほんの些細なことがあるたびに全身に力が入り、体力がもたなくなるものだ。何か緊張の糸が切れたら、今の時点でも限界を超えているのかもしれない。数十分後、再び後方にいたキャッチの男が話しかけ始めた。ケンタは動かない。なにがおきているのかわからない。今度は派手な男二人組に何か話しかけられている。
「向井くん、時間は?」
なんだかんだでマツダさんも高ぶっているようだ。
「あと五分です」
ひっそりと、を忘れて三人並んで棒立ちになって待っていた。ついに一時間が経つというその時、後ろから肩を叩かれた。ミキさんと、”大久保のママ”リツコさんだった。
「行くぞ」
みんな足元おぼつかない感じでミキさんについていく。ケンタは途中から、あの前で手を組んでうつむきの姿勢のままだった。近くで見たケンタは、もうあからさまに疲弊していて、口もきけない状況だった。
「これ、報酬な」
ミキさんは封筒を、無理やりケンタの手をつかんで握らせた。
「いいか、これを365日やり続けるのが『仕事』っつーもんなんだよ。できんのか、お前、オイ! この程度でピーピー言ってるやつがよぉ、お前が言う『冒険』だかなんだか知らねぇけどよ、できねぇだろうが。毎日を目一で走れねぇやつがよ、でけぇ口たたいてんじゃねぇ!」
こんな怒鳴り声が公道であっても、何もないようにふるまうまわりの人たちは場所柄だなぁと思う。今度は急に優しい声がケンタをつつむ。
「みっともねぇ自分わかったろ。いい仲間もいるんだろ。明日から気合いれてけや」
結局この時のミキさんが今日一番怖い人だったわけで……。ちょっと離れたところに立っているリツコさんにひそひそ声で話しかける。
「結局、これ、どういう仕事なんすかねぇ。リツコさん、知ってます?」
「えっ、向井君マジで言ってるの? ミキの遊びに決まってんじゃない、やだ〜(笑) あんたも意外に純なとこあるのねぇ」
リツコさんの声で気づいたミキさんがこちらに声を投げかける。
「お前ら、本当に気づかなかったのかよ。漫画の読みすぎだ、アホんだら。向井とカナは終わってからケンタを飲みにつれてってもらうお守役で呼んだんだ。向井、これでなんかうまいもん食わせてやれ」
ポケットから取り出したむき出しの二万円を自分に手渡すとミキさんとリツコさんは高笑いしながら消えていった。全員、しばし棒立ち状態になっていたのだが、カナちゃんが「ケンタ、行こ」と声をかけたのを合図に牛歩で動き出した。


ロボットレストランの近くにある《ぶんご商店》へ行った。いい魚を出してくれる居酒屋で、最近「新宿でおすすめの店は」と聞かれたらここと答えることが多い。お通し代もサービス料もなし、値段も安い。大将は寿司も握ってくれてこれもまたうまく、飲んで最後に同じ店で寿司で締められるのはうれしい限り。営業時間も朝までだ。
 みんな最初はぎこちなくしか喋れなかったが、出てきた刺し盛をじゃんけんで勝った人間から好きなもの食べたり、おいしいあら煮の皿を鍋みたいにつつきあって一時間後にはいつも通りの雰囲気になっていた。年齢も職業もみんな違うけど、楽しい下ネタで盛り上がる水商売のおねえさま方の後ろで、自分らも同級生みたいにくだらない話をして、マツダさんは途中タクシーで帰ったけど、最後には寿司をつまんで三人で朝を迎えた。歌舞伎町の中で誰も気づかない、とても小さな輪の夏祭りが終わった。
「今日もがんばんべー!」
カナちゃんが、明るくなった空に向かって叫ぶ。今日もそれぞれの、一日がはじまる。

■歌舞伎町主要通りのご紹介
http://homepage3.nifty.com/kuroodo/html/street.htm
■ぶんご商店
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13059150/