Shinjuku Night 〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜 #015

久しぶりに西武新宿線で新宿に入った。西武線で来た時はあえてほとんどの人が使う正面改札ではなく、職安通り側の北口から出る。なんだか少し暗い感じの駅前通りをブラブラと、ほどよくゆるいそんな時間を少しだけ歩く。昨年末にミラノビルが閉館になって、裏側のコンビニも無くなり、また暗くなった。ふと目をやるとコンビニがあったあたりにホームレスのおかあさんがいる。久しぶりなので信号を渡って挨拶する。
「寒いね、かあさん」
「おっ、久しぶりだねぇ。悪いけど、卵のコーヒーおごってよ」
「ああ、いいよ。ちょっと待ってて」
かあさんはカフェオレのことをなぜかいつも「卵のコーヒー」と言う。近くの自販機でカフェオレを購入してかあさんに渡した。指先を温めるようにゴロゴロと転がしている。
「あー、あったかい。ありがとよ。じゃっ、今日はこれで」
あっ、今日は遮断された。ものすごい話したがる時もあるのだが、たまにこのように都合よく切られる時もある。まあ、どちらにせよ、そんなに気にしない。それぐらいがちょうどいいんだ、なんか。


パチンコのエスパスが見えてくると、雑な雰囲気が前に出る。LABIの上のユニカビジョンに映る知らないバンドの声が降り注いでくると、身体が人に触れる距離になる。もう一度信号を渡って西武新宿駅ペペの前の喫煙所の紫煙を目でおいながら大ガードの方へ歩く。人の意識に矢印がない、複雑な感覚が支配するこの場所で、翻弄されながら前へ進む。人をよけるたび、首筋に寒さがからむ。少し前が開けて、駅前の小さなステージの前に出た。普段はそこに入れないよう、ポールが置かれている。その一番端のポールを少しずらして座っている女性がいる。足を揃えて蹴り上げるようにブラブラとさせている。別に珍しい風景でもなんでもなく、フードを深くかぶっているので顔がわからなかったが、ファーブーツに見覚えがあった。先日、ガールズバー勤務であるレナちゃんの後輩カナが自慢していたものと同じだった。少し離れてのぞきこむように確認すると、間違いない、カナだ。
「おい」
「ああ。どしたの」
「どしたのって、通りがかっただけだわっ(笑) カナは待ち合わせ?」
「違うんよ。ただいるだけ」
「寒いだろよ。なんでまたここに」
「寒いけどいいんよ。好きなんよ、ここが。よく来る」
「ふーん。なんかあったん?」
「あるから来てんじゃん。もー、向井君うざい」
「そんな言い方しなくたっていいじゃんよ。こんなたくさん人がいる中で偶然知り合いにあったらうれしいじゃん。ただそれだけだっつーの」
「でもカナは今日哀しいんよ。それだけ考えてるんよ、今」
「ふーん。俺、これからメシだけど、行かない? 聞くぜぇ、愚痴とか」
「向井君すぐ笑いにするからやだ」
「……。しゃーないなぁ。じゃ、またな。風邪ひくなよー」
カナは眉毛を八の字にして変な顔をしていたが、正直腹が減っていたので行くことにする。大ガードをくぐり、なんとなく後ろを振り返ると、少し後ろにカナがいる。「お前、子犬か!」。サササッと小走りで横まで来て一緒に歩く。素直じゃない感じだけ、先輩のレナちゃんに似ているのであった。


大ガードを抜けて信号を渡り、小滝橋通りを歩く。このあたり、西新宿7丁目エリアといえば中古レコード店で知られたエリアだが、自分がいなくなっていたこの10年に、人気の飲み屋が乱立したのもこのエリアだった。そんな中でも自分が一番通っているのは、立ち飲み店の《おおの屋》さんである。キレイだけど素朴なたたずまいのいいお店で、値段も安く、混んでいるという他には文句がない。カウンターの奥がちょうど二人分ぐらい空いていて、そこに収まった。自分は抹茶ハイ、カナは梅酒のソーダ割を頼んだ。
「まずは俺が出しとくわ」
一杯250円。1000円札を店員さんに渡すと、小さな小皿にお釣りが乗って帰ってくる。ここはキャッシュオンなので、この皿にお金を乗せておいておけば、店員さんがその都度そこから会計してくれるのだ。やきとんも5本たのんで50円だけ残った。乾杯しようとしたのだが、横を見ればカナはすでにゴクゴク飲んでいる。
「お前さー、乾杯ぐらいしようよ」
「えっ、なんで?」
あああ、でもおっさんのように説教モードに入りたくない。無かったことにする。
「で、なんかあったん?」
「ケンタが帰ってこないん」
「えっ、ケンタって、あのケンタ?」
「そうだよ、セントラルロードで肝試ししたじゃん、去年(#10参照)」
「えーっ、帰ってこないって、ようするに付きあってるわけ? だけど仲悪かったじゃん、二人とも。いっつもブーブー言い合ってさぁ」
「あのとき、カナのナントカ本能がうずいたの! しょーがないじゃん、そうなったんだから」
「いや、悪いとか言ってないじゃん……、大きい声出すなよ。そうかぁ、なんか、随分前のことに感じるな、あの時のこと」
「セントラルロードもキレイにしてるもんね。あの時、怪しい人が電話ボックス入ってあわてたじゃん。あれももう無いもんね」
「いやぁ、そうかぁ。で、なに、ケンカしたわけ?」
「今、一緒に住んでるんよ。ケンタはレンタルルームの受付やってるんよ。でね、この間ね、バレンタインの日になんかいい感じの
チョコもらってきて誰にもらったか言わないんよ」
「それで?」
「それでじゃないよ! 浮気してるんよ、絶対! だって、それから帰ってこないんよ」
なんだかよくわけわかんなくなって親父さんに「レバーの唐揚げください」と言ってまた財布から1000円札を出しお釣りを皿においた。いや、二人の関係がつながってなかったからそんなこと気にもしていなかったが、先日《コネジ》でその話があったのだ。ケンタが彼女とケンカして帰りたくないからといって、常連の独り暮らし会社員であるマツダさんの自宅マンションに行ったら、豪華で部屋もたくさんあって、それでいてマツダさんも人恋しいのか結局住み着いて毎晩自宅で宴会してるって聞いていたのである。あの感じだと、みんなも彼女がカナだとは気づいていないはず。でも言ったら面倒なことになりそうだしなぁ。ていうか、正直どうでもいい話だよなぁ。その後、しばらく他愛のない最近の話をして、また間が空いて話を戻した。
「いやぁ、浮気してないんじゃないかなぁ。モテキャラぶってるけど、前はともかく最近は意外に硬派だよ、ケンタは」
「そういうテキトーな言葉、聞きたくないんよ」
カナが得意げな顔をして、こちらに中指を立てた。そこにはかわいいハートマークが。
「なにそれ」
「ははっ、サロンでやってもらったんよ。中指立てても愛がある。かわいいっしょ。じゃ、向井君ありがと。帰る」
中指立てても愛、か……。カナといるといつも追いていかれる。でも、どこか彼女みたいに、なんでもちゃんと声に出して、伝えること。子供っぽいし、わがままだが、自分はなんだかんだいって、そんなカナに惹かれているのかもしれない。カナが帰ってすぐ、さっきのレバーの唐揚げが出てきた。250円とは思えないちゃんとした量なのだ。レモンサワーを頼んで熱い唐揚げをホクホクしながら独り喰らう。LINEでケンタに「お前の彼女に食い逃げされたぞー」と送る。すぐに「既読」になったが、返事はなかった。お皿の小銭をポケットにしまい、店を出た。西口のビル群から、小さな星のように窓の光が降っていた。


散漫になっていた人の流れが、駅に向かって集約されはじめる。そんな流れに何も考えずにまかせて歩く。大ガードをくぐって西武新宿駅前に戻ってきた。ふとタバコを吸いたくなって立ち止まる。先ほどカナが座っていたステージの端が空いていた。座って火を点ける。寒いけど、なんだかボンヤリと次から次へと流れていく人を見ていると、結構飽きない。すると、いきなり大柄で全身黒いコートの男が柵を雑に払いのけて横に座った。
「おぉ、久しぶりだな。やっぱ目立つな、お前」
黒、とまでは言わないけど灰色界の住人ヨシノさんだった。ヨシノさんもコネジの常連だが、ミキさんとあまり顔を合わせたくないらしいのと、自分と時間があわないのでめったに会わない。
「どした、こんなとこで」
「いや、ちょっとヤニ吸いたくなって」
「はん。なんかお前、昔に比べて陰気になったよな。人の事いろいろいいたくねぇけどな」
「そうすかね。ヨシノさんはポーカーフェイスだからいいすね、何考えてるかわかんないし」
「そうかぁ。俺もこの間、仕事でやっちゃってな。言うこと聞かない部下と揉めてな。やめられちゃって上から怒られてな」
「そんなんで怒られるんすか?」
「人手不足なんだよ、うまみが減ってきた世界はどこもそうだろ。でもな、なにが嫌ってさ、そのやめたやつ、そいつの言ってること正しいんだよ。俺もわかってるんだけどさ、ここにはここのルールがあるからな。でも、なんで自分で間違ってるってことをさ、人に押し付けてるんだって。まっ、そんなことが気になりだすってことは、俺も落ち目ってこと。ダメだよな」
ヨシノさんの仕事は自分とじゃ規模もなにもかも違いすぎて、素直に『わかります』とか言えない。わかったようなことを言える人じゃないのだ、自分にとって。
「正しいことをまっすぐ進んでくるやつにさ、感情がぶれるようになったら俺みたいな仕事、無理なんだよ。最初から負けてることを無かったことにして生きてんだ、俺ら。お前はどうだよ、どっちだ」
「ヨシノさんの話、ちゃんと理解できてないすけど……失望させてきた側っすね。だんだん動けなくなって」
なんだか沈黙が続いた。ユニカビジョンの声だけが、そこにあった。
「人のためにさ」
「人のため?」
「きれいごとじゃなくてさ、自分の意識で歩けなくなったらさ、人のために生きるしかねぇんだと。ひでぇ死に方したある人が言ってた。ただひたすらに人のために生きる。なにかしてやる。それしかないんだと。それは地獄なんだって。でも、美しい地獄なんだと」
「……」
「俺もよくわかんねぇんだわ。でも、独りで飲んでるとたまに考えたりしてな。お前、俺よりは頭いいだろ? 教えてくれよ、答え(笑)。またな」


ヨシノさんがエスパスの方向へ向かう人の波に消え、その波も駅へ吸い込まれていく波に消し去られた。スマホをチェックすると、ケンタからLINEの返事が届いていた。「すんません」という、なんでもない一言だけがそこにあった。今日もまた、夜を包み込むさらに大きな夜が、膨らみ始める。

◆立ち飲み処 おおの屋
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13040226/