美しい日

開店前に、今日のBIGBOX展の計算をする会場の鍵を、その会場の事務所に借りに行く。開店後、本の棚出し。その後はひたすら原稿書き。夕方、文英堂さんの原稿が完成する。明日、チェックしてもらうことにする。また次の取材しなくちゃ。今日は、昨日に引き続き嫌な出来事がひたすらおこる。細かい不幸は、ホントにつらい。


6時からBIGBOX展の計算作業。班長はいろいろとやることがあるので、売り上げ伝票が少ない店の計算をさせてもらえる。ある意味残酷(自分の店じゃなくて良かった)。計算終了後、お金の合わせなど。2時間ほどで計算作業が終了。うちは、いつもより少ないなぁ。一週間で売れた冊数は1218冊でした。文庫がいつもより売れてないです。5万円くらい少ない。その後、偶数月班との合同会議があり、解散。一週間が、終わった。


今日、自宅の猫が天国へ旅立った。半年ほど前に生まれた猫だった。他の兄弟に比べて身体が小さい猫で、そのせいか他の兄弟には餌にしても、じゃれることにしても、いつも後手をふんでいた。猫にはいつもやりこめられてしまうからか、珍しいほどに人間に甘えた。気づけば横に寄り添って、寝ているときには胸の上に乗っかってきて眠ることもあった。冗談で「お前は甘えん坊協会の会長だ」なんて言っていたこともあった。
 ひと月ほど前、あまり動かなくなって体調が悪そうだったこいつを病院へ連れて行った。獣医さんからは先天性の心臓病だと告げられた。よくあることなのだが、たくさん生まれてくる猫たちには、必ず身体の弱い子が混ざっており、早死にしてしまうのである。治るものではありません、と告げられた。しばらくすると、いつも苦しそうに息をするようになった。床に横になり、目をあけたまま苦しそうに息をする。それでも、耳の後ろや、のどのあたりを撫でてやると、その時だけは気持ちよさそうな顔をして息の音が小さくなった。撫でてやることなど簡単なことである。しかし、その手にあたる感触は日に日に、肉の感触から骨の感触に変わっていく。逆に命を削っているのではないか、そんな気持ちと戦いながら、夜遅くまで付き添っていた。
 今日、昼食のために自宅に帰ると、妙にニャアニャア鳴いた。撫でてやると、今日は嫌がった。ふらつく足で逃げようとする。数歩歩いて、寝転がる。それでも、部屋を出ようとすると、また鳴く。ついにただ見つめるしかなくなってしまった。見ていると、もう、呼吸が切れそうな気がした。この猫は母親に一番なついていたので、あわてて店へ行き、母親を自宅に帰した。家についた数分後に、亡くなったそうだ。
 悲しくない、と言えば嘘になる。でも、しようがないのだ。ここ数日、苦しむ姿を見てきたが、本当にがんばったと思うのだ。与えられた寿命に最後に挑んでいる姿を見て、今日この日が、この猫にとって間違いなく最高に輝いた日だったのだと感じた。だから、今日はとても美しい日だったと思っているのだ。