Shinjuku Night #006 〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜


今日はやけに混んでいた。
《コネジ》のドアを開けると、なんと席が埋まっている。というか立って飲んでいる人までいる。ちょっとなにがおきたのかよくわからなくて棒立ちになってしまった。五人以上いる店内を見たことが無かったからである。珍しく額に汗して働いているマスターがしきりにこちらに向かって無言ではあるが「ごめん」という顔をしている。カウンターの端から、大久保にある某店オーナーであるリツコさんがこちらに声をかける。
「向井君ごめ〜ん。同窓飲み会流れでみんな連れてきちゃったのよ〜。私のボトルでよかったら一緒に飲む?」
リツコさんの奢りで飲むのはうれしいけれど、周りに座る同窓生の皆様達のあまりにキリッとしたたたずまいに気後れして「いや、今日は……。メシ食って出直してきます」と告げて逃げるようにビルの外に出た。


「あれ、早いすね。どうしたんすか」
顔見知りのキャッチ、マサくんに声をかけられた。
「いや、ビックリすることに満員でさ。社長さんオーラいっぱいの人たちだらけで落ち着かなくて」
「あっ、あの人たちコネジだったんすか。どの店行くんだろって思ってたす」
「ちょっと一番街のほう行ってくるわ」
風林会館前の花道通りを歩いて歌舞伎町の中心部へ向かう。このあたりは黒人キャッチが多い。自分が以前遊んでたころはいなかったのだが、今は歌舞伎町のあちこちで見かける。声掛けも日本人みたいに「これからどこすか?」とかではなく、いきなり「オッパイスキ?」とか言ってくる。ふと笑ってしまう。無視でもなくほどよく相手しながらも興味なさげに進む。急に強引に肩を引っ張られた。ひゃっ、と振り返ると《コネジ》の常連"チャラい銀行員"ユウキさんと、マツダさん、ムラキさんの新宿会社員コンビである。
「あっ、ども。偶然すね」
「バカ、偶然じゃねぇよ。俺たちもテーブル席の方にいたんだよ。でも賑やかすぎるからさ、この前に続いて向井君とメシ行こうかと思ってさ」
「覚えてるんすかあの日のこと( #003参照)。叫びながら先に帰っちゃったじゃないすか。自分置いてけぼりで」
「ごめんごめん、楽しすぎて、ねっ。あの後、無事にゲイバーデビューもしちゃったよ、フフ」
「そりゃーよかったすね」
「怒るなよぉ。今日は俺の奢り! それでいいっしょ」
怒ったふりはしてみるものである。なんかそういう気がしていた。
「じゃあ、焼肉でいいすか?」
「かーーーっ、つまらない。すっごくつまらない。焼肉もいいけど、なんていうかなー、風情が無いねぇ」
「食った後の合計金額に風情が無いってわけ?(笑)」とムラキさんが皮肉っぽくからむ。
「ちげーよ。ギラギラしたこの場所でギラギラしたもん食ってもさ、つまらんじゃない」
「おれ、カレー食いたいわ」
黙っていたマツダさんがボソッと言った。カレーと聞いて、口の奥の方から唾液のように記憶がにじみ出て「つるかめ、行きます?」と言葉が出た。「いいねー!」他の3人が一斉に答えた。


《つるかめ食堂》は西口の思い出横丁にある店舗の方が有名だが、こちらの歌舞伎町店もまた長くこの街で遊ぶ人、働く人に愛されてきた店である。一応、兄弟店ではあるそうだが、メニューも全然違うし、別の店だと思ったほうがいい。現在は、テッペン前に閉店してしまうようだが、かつては始発ぐらいまで営業していて、夜中は「ミニ歌舞伎町」みたいになって愉快な飲み場だった。歌舞伎町で飲んだら、シメはつるかめのカツカレー。それが自分の青春。ところが新宿に戻ってきてからはまだ行ったことが無かった。たまに横目で見て「改装してキレイになったんだな」と思いながら前を通っていたのだが、なんとなく入らないで日が経っていたのだった。


入って右側の四人テーブルがちょうどひとつ空いていた。左側の二人席にはずらり一人のお客さんが並んでいる。飲み物はバラバラに頼む。自分はレモンサワーを頼む。これまた、つるかめのシャキッとしたレモンサワーはお気に入りだった。それからユウキさんが「カツカレーの人!」と声をかけると残りの三人とも「はい!」と手をあげた。
ユウキさんの下ネタをぼんやり聞きながら待っていると、アルミ皿にのせられたカツカレーが出てきた。カツの下のキャベツ。別皿のマカロニサラダ。ああ、帰ってきたんだなぁ。一口、いれてみる。しみじみとうまい。こういう味だと「家庭的」という言葉ですましてしまうことも多いが、いや、家庭では食えない。さっきまであんなにはしゃいでたのに、みんな黙々と、それでいて嬉しそうに食っている。《コネジ》に戻った日の事を思い出すように、ここにも帰ってこられた。そんな気持ちになってスプーンとアルミ皿でカチカチと鳴らしながらかきこんだ。


しばらくして、マツダさんが沈黙を破った。
「おれ、カレーにもこれかけちゃうんだよね、好きで」
それは、つるかめの全テーブルに置いてある市販の「キムチ胡麻ふりかけ」だった。ムラキさんがからむ。
「えっ、定食の時だったら俺も白米にかけんの好きだけど、カレーの時はダメだろ。認めねー」
「そんなの勝手じゃん。お前はお前、俺は俺だから」
こんなどうでもいいことで険悪な雰囲気に。ユウキさんはニコニコしてそれを楽しんでいる。食べ終わり、なんでこんな雰囲気になってるんだっけ、と皆がけん制し合っている中、ユウキさんが会計をすませ店を出た。さくら通り方面にブラリ歩きだす。ここには小ぢんまりとした歌舞伎町弁天という、風俗店に囲まれながらも弁天様が祀られている広場がある。横にある、かつては喫茶店で、今はカラオケボックスになっているお城風の建物である「王城ビル」のネオンとの差異がいい雰囲気を出しながら、こんな歓楽街のど真ん中に存在している。かつて沼地だったそのほとりに祀られたのが始まりと言うが、いつのまにかとてつもない場所になってビックリしたことだろう、弁天様も。
「みんな、ちょっと来なさい」
ユウキさんが弁天さまに呼び込む。
「よし、さっきの『キムチ胡麻』の因縁に決着つけるぞ。ムラキ! マツダ! 相撲勝負な」
はじまった。ユウキさんの、終着駅のない暴走列車が出発した。そして、酔いのせいなのだろうか、ムラキさんもマツダさんもやる気満々だった。入ってすぐ右の小さなスペースで相撲がはじまった。なんというか、腰が浮いて上半身だけが動いている小学生の喧嘩のような勝負だった。周辺のキャッチや女の子たちもニコニコしながら遠巻きに観戦している。マツダさんが自爆気味に倒れて勝負がついた。
「よし、ムラキの勝ちな。キムチ胡麻は一件落着な! 次、向井君とムラキね」
そんな……。そういう気分じゃないし、なんというか、本当に困る。
「みなさーん、横綱の登場ですよー」まわりから拍手がおきる。そうなると、あまり雰囲気を壊したくないし、やることにした。いつものことだが、つい空気に流される。祭りは、引き返せないのだ。嫌々引き受けたが、いざやるとなると、薄暗い境内といういい雰囲気の中、派手目の観客がいて、ちょっと気持ちよくなった。柔道部時代の都大会なんかを思い出す。向かってきたムラキさんの体を受け止める。ちょこっと押してから軽く引いたらムラキさんは豪快に倒れた。まわりは大拍手である。
「お兄さんがた、誰かやらない? 勝ったら一杯おごるよー」
それは……と思って止めようと思ったが、すぐに細身だが長身の金髪のお兄さんが手を挙げた。ドギマギしているうちに決まってしまった。「やります、よろしく」見た目はやばそうだが、この挨拶でいい人そうなことがわかっただけでも救いである。とにかくあれこれと判断する間もなくはじまった。がっつり組み合った。腰が高く、すぐに勝てそうだった。しかしながら、勝ったらまた次がありそうだった。歌舞伎町のど真ん中で、チャック・ウィルソンみたいにシャレがわからないような人が出てきたらまずい。少し押し合いをしながら投げにいってバランスを崩したふりをして手をついて負けた。
「なに負けてんだよー。しょがねーなー、お兄さん、ちょっとこっちへ」
ユウキさんは勝ったお兄さんと何やら話している。広場の隅で手とヒザについた土ぼこりを払っていると、マツダさんが話しかけてきた。
「大丈夫?」
「ええ」
「いや、マスターも言ってたけどさ、あれでもユウキさん、本当に向井君のこと心配してんだよね。さっきもさ、《コネジ》ね、入ったばかりだったんだよ。でも「行こう」って追いかけて。ちょっとうざいけど、許してあげてよ」
わかっている。ユウキさんは「祭」の中に、自分のことを置いてくれようとがんばってくれている。感謝しているが、それを伝えてはいけない、そういう間がある。
「よし、話はついた。ムラキ、マツダ、帰ろうぜ。じゃあな、向井!」
はじめて「君」をつけずに呼ばれた。ちょっとこそばゆい。


独り、弁天に残って一服した。最近、独り飲みの時に間がもたず、再び吸い始めた。
「あっ、どーも。さっき、わざと負けなかったすか?」
戦った兄さんが寄ってきた。
「そんなことないよ。ちゃんと一杯分の金もらった?」
「はい、二杯分(笑) 自分、今日ひとつもいいことなかったんす。でも、最後にいい気分もらって、なんかうれしいっす」
この場所には、金もそうだし、運とか感情とか、いろんなものが同じような場所をグルグルと回りながら存在している。そこから自分に都合のいい瞬間を切り出して自分の結果や未来だと思い飲み込まれていく。その連続だ。
「そう、よかった。じゃ、またどこかで」
大きくタバコの煙を空に吐き出す。朝が来てほしいと口で言って、朝が来ないでほしいと心で祈る。

◆歌舞伎町地図
http://www.d-kabukicho.com/kabukicho-map.html
◆つるかめ食堂 歌舞伎町店(食べログ
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13006122/
◆王城ビルと歌舞伎町弁天/写真有(ブログ 談話室松本)
http://blog.10-1000.jp/cat38/000815.html