Shinjuku Night 〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜 #013


ずっと来てはいたが、なんとなく深夜仕事の合間に街なかを歩くだけだったり、歌舞伎町をぶらつく人を肴に道飲みしている日々が続いていた。金が無いなら無いで「居場所」だけはあるのが新宿である。しみったれた人間など、特に歌舞伎町の「住人」にとってはなんのメリットもない奴なので、街の片隅でひっそりと道の端で缶チューハイを飲んでいる。
 今日は久しぶりにゆったりと飲みに来た。《コネジ》にもご無沙汰だが、まずは久しぶりの西口で飲むつもりだった。区役所通りから花道通りに入る。建設中の東宝ビル(コマ劇跡)が目の前を覆い尽くしている。その東宝ビルへの表玄関として機能するセントラルロードも現在工事中だ。いろいろなものが取り払われ、スッキリしている。靖国通り側にはシンプルなゲートも作られるそうだ。どちらも、できたらできたで一瞬で見慣れたものになっていくのだろう。


西武新宿駅前の雑多な広場の喧騒を抜けて大ガードの交差点で待ってると、後ろからポンと肩をたたかれた。「よお」。黒い肌にギラギラしたネックレス。《コネジ》の常連でもある"ミスターピン中"ババさんだった。"ピン中"というのは"フィリピン中毒"の略だそうで、フィリピンパブ通いがやめられないフィリピーナ大好き人間の人を"ピン中"と呼ぶのだそうだ。以前、古本屋でも自分でそう言っている人がいて、造語かと思っていたらそれなりに使用されている言葉なのだということをこのババさんに聞いて知ったのであった。
「久しぶりじゃんよ。そっちは元気してんの?」
「変わんねぇすよ、なーんも」
「飲み?」
「ええ」
「俺もメシ飲み行くんだけど、たまにはどうよ、一緒に」
ババさんは面白くて好きだけど、今日はなんだか独りでのんびり飲みたい気分もあった。賑やかな思い出横丁の《岐阜屋》あたりで炒め物でボケーっと飲もうと思っていた。
「なんだよ、どっか待ち合わせ?」
「いや、そうじゃないんすけどね。なんかなーんも考えないで飲みたい気分つーかなんつーか……」
「んな、寂しいことゆーなよー。一杯だけでもつきあえよー。《あばらや》知ってる?」
「あっ、《あばらや》行くんすか……」
このお店は、過去の、いろんな感情がそのままになっていて。戻ってきてからもなかなか行けず、先日ライターの橋本倫史君を連れていく、というきっかけでようやく、と言ったら変だが訪れることができたのであった。それだったら、行きたい、かな。軽くうなずくと、ババさんに肩をポンポンッと二回叩かれ、歩き出した。
信号を二つ渡り、パチンコ店「新宿ジャンボ」の横の路地を曲がる。《ボルガ》のある通りであるが、その手前に小さ目の赤ちょうちんが4つほどぶらさがっている、いい感じの居酒屋がある。そこが《あばらや》である。確かにふらっと入りにくいかもしれないが、入ってしまえば実にすばらしい料理が待っている西口の居酒屋である。ちょうど一つだけテーブルが空いていた。二人ともレモンサワーを頼む。ババさんが胸ポケットからパケットに入った錠剤を取りだした。
「なんすかそれ。怪しすぎる(笑)」
「浅草のイレーネちゃんに教えてもらった栄養剤。効くんだぜ〜」
出てきたレモンサワーで飲んでいる。こういう、うさんくさい行為がどこか様になる。ババさんってそういう人。
「最近、《コネジ》に顔ださないすね。前に会ったの、夏前じゃなかったですっけ?」
「ジュクのピンパブ、お気にの子帰っちゃったんだよ。今は中野なのよ。俺、家、逆だからさ、あんま来れないんだよねぇ。今日はここで昔の会社仲間と話あってさ。酒なしの話な」
蒸しタマネギが出てきた。丸々ひとつのやわらかく蒸されたタマネギにタレがかかっている。少しずつ剥がしながら食べていくのだが、甘くて、子供が遊ぶように夢中になってむきむきしてる。あばらや巻も出てきた。鉄火巻のシャリ部分がオクラになっているもの。大将、料理好きなんだなーというメニューばかり。飲みながら、おもちゃを与えられた子供みたいになれる店なのである。
「向井ちゃん、ここ来ることあるんだ」
「ええ。今はそんなにですけど、前、ちょっと。ババさん、アミちゃんって憶えてます?」
「アミちゃん……あぁ、フードルだったアミちゃん?」
「そうすそうす。その彼氏だったユータっていたじゃないすか」
「ああ、なんか暗い感じの男いたな。顔は思い出せねぇや」
「彼が、よく来てたんすよ。それで」
「向井ちゃん、あいつと仲良かったの? へぇー面白いね、全然タイプ違うじゃん」
「いや、彼、プロレス好きで。プロレスファンはそれだけで会ったその日から一晩飲めるんすよ」
「ふーん、そんなもんなんだ。でも、懐かしいなぁアミちゃんかぁ。どうしてるんだろうなぁ」
ちょうど、一杯目のレモンサワーがなくなった。そういえば、ユータもレモンサワーだった、いつも。


アミちゃんは90年代のフードル(風俗アイドル)の一人で、よく《コネジ》にもグラビアなんかが掲載された雑誌がころがっていた。実際にはそのころはお店のトップはみんな「フードル」ということを言い始めてきた時代で、今のAKBどころではない人数の「フードル」があちこちにいた。アミちゃんは良くは知らないが「超」はつかない一流どころ、というような感じだったのだと思う。現在も常連のコワモテおじさん・ミキさんが仕事でつながりがあるとかで連れてきていた。アミちゃんもまたこの店のアイドル的存在ではあったが、もう一人のアイドル、現在も出入りするガールズバーの人気嬢レナちゃんとはどこか壁があって、ゆるい客派閥があって困った記憶がある。
 ある時、アミちゃんが満面の笑みで彼氏を連れてきた。細身でほんのり茶髪の、垢抜けないがのびしろが大きそうな美青年であった。それ以来、空気が変わってなんだかよくわからない客派閥は解散となったのである。彼氏は実に無口だった。どうやってもアミちゃんは口を割らないのでどのようにして出会ったのかは最後までわからなかったが(そもそも《コネジ》に来るような人はあまり他人に対して深い興味がないのである)、所謂「お客さん」ではないらしい。仕事に関わることだからなのかもしれないが「それはない!!」とそこだけ声が大きくなるのであった。
 彼氏のユータはいつもどこか居場所がなさそうで、記憶を無くすように飲むアミちゃんの隣で気配を消すように薄い水割りをチビチビ飲んでいるだけだった。そのうち、一緒に来る回数が減ってきて、まったく姿を見せなくなった。その少しあとに、アミちゃんは半引退して「経営する側」にまわることになった。ミキさんによれば、出資してくれる人が現れ、アミちゃんが広告塔になって新しい店をはじめる、というようなことだった。当時、いくつか同じようなコンセプトの店があったらしい。ミキさんは反対していたが、アミちゃんはそのまま突っ走った。来るたびに状況をひとつも残さずにみんなに話し、自分のトークショーのようにふるまっていた。今思えば、なんだかいつもは各自好き勝手にやって雰囲気もバラバラだが比較的のんびりしている《コネジ》に、台風が来ているような日々だった。


 あの日は確か《ボルガ》に行こうと思っていつもの路地を曲がったのだった。野良猫が数匹たむろしていて、ちょこっとちょっかいを出そうと思って近寄って行ったら、その横の居酒屋(《あばらや》である)の入口にユータがいた。まだそれほど親しくもないころだ。
「あっ、どーも」
「どーも……」
「一人?」
「ええ……」
もう、その時の自分の気持ちなんて思い出せないけど、自分は無口な彼を嫌いではなかった。
「よかったらだけど、ご一緒、してもいい?」
「いや、はい、ぜひ……」
お互い探るように自分の事をさらっと話していた。きっかけは忘れたが、そのうち彼がなにかの例えで「ビッグバンベイダーみたいな」という表現を使ったのだった。プロレスラーの名前である。それからは早かった。また、若く見えるので思いもしなかったが、彼は2つ下。ほぼ同世代なのだった。自分たちの時間はその日からはじまった。


わざわざ連絡を取るような仲ではなかったが、西口で飲むときは一度《あばらや》をのぞいてみて、ユータがいたら一緒に飲む、そんな感じだった。ユータは無職だった。同棲しているアミちゃんの稼ぎがよく、生活費には困らない。しかしながら彼は世間でいうところの「ヒモ」として生きる、いや、その在り方を良しとしているわけではなかった。かといって大人としてしっかりしてるかといえば、それもまた違っていたように思う。仕事についてはやめ、または切られ、気づくと無職になっている。内面の、妙な頑固さが彼の孤独感につながっているようにみえた。
「また、やめたのかよ。アミちゃんは? アミちゃんとはうまくやってるの?」
「アミは、忙しいんで。メシも外で食ってくるし。いいとか悪いとか、わからないというか」
「《コネジ》に来てさ、ミキさんに相談してみるとかさ、してみればいいじゃん。ミキさん、アミちゃんと知り合いなんだし」
「いや、そこまでアミに世話になりたくないっつーか……。いや、もういいすよ」
「そんな意地はってたら悪い道、悪い道選んじゃうぜ。アミちゃん関係なくミキさんに相談すればいいだけじゃん。ミキさんじゃなくても、肩書だけは結構な人たくさんいるからなんかつながるかもしれないし、たまに顔出せよ」
「向井君、簡単に言うけど、自分、ダメなんすよ、そういうの。いきがってるわけじゃないんです。でも、なんかダメなんす」
その時は考えなかったが、彼にとってこの頃はギリギリの孤独感だったのかもしれない。外に向かうアミちゃんに置いてけぼりを感じてしまう。独りきりであることの哀しさというのは矛盾するようだが、たくさんの人の中に入ることで一番つらくなる。唯一といっていい飲み仲間である自分がくだらない正論を言ってしまった。あの頃はそれをなんとも思っていなかった。ユータはいつもここで飲んで帰る時に、店のそばにいる野良猫と楽しそうにじゃれるのだが、今日はそれをすることもなく帰っていった。その日以来、ユータは姿を現さなくなり、自分もあまり西口に足を向けなくなった。その頃の自分は理由さえわかっていなかったから、そのことに対して、なにも気持ちは揺れなかった。


半年ぐらい経ったろうか。自分の店を閉めようかと思った頃に《コネジ》のマスターから電話があった。
「あっ、向井君? 今さ、アミちゃんの彼が来てさ、向井君来ますかって聞かれて。わからないって答えたら、なんか、西口のいつものとこで待ってるって言って出てったんだけど。伝えた方がいいかと思って」
なんで直接電話してこないんだろうか、と思った。店を閉め、西武新宿線で新宿へ行き、大ガードをくぐって《あばらや》へ向かった。まだ空いていた店の、テーブル席でユータはレモンサワーを飲んでいた。自分もレモンサワーを頼んだ。
「久しぶり」
「うん……」
ユータはずいぶんと酔っぱらっていて、頬杖をついて何を考えているのかわからない感じで、自分もただ無言で飲んでいた。正直、めんどくさいな、と思っていた。久しぶりだったことと、ユータの態度がなんだか気に食わなくて、黙ったままただそこにいた。ユータが三杯目のおかわりをしたときに、ふとつぶやいた。
「向井君」
「なに?」
「ごめん」
「えっ、なにが?」
「いや、別に……」
まだそのころ「若さ」の続きの中にいた自分たちはその空気を変えることなく別れた。会計をしている間に、その隙間を埋めるように次々席が埋まっていって、立った自分たちの席にも4人組が座った。ユータはこちらが声をかけるような瞬間がないくらいすぐに「じゃ、また」と言って駅とは反対方向へ歩いて行った。自分は、まだ昼の喧騒の続きにある新宿を歩いて、歌舞伎町で自分だけの夜をはじめようと次へと向かった。その頃、自分の前にあるはずの世界は、いつもただただ楽しかったのだ。


ババさんはつまみを食いながらそれほど興味もないような感じで話を聞いていた。
「ふーん、そんなことあったんだ。でもアミちゃんって全然来なくなっちゃったじゃん。来てねぇだろ、今も」
「お店、一年もたずに終わっちゃったんですよ。ミキさん、詳しいこと教えてくれないのに会うたびに愚痴きかされましたもん当時」
「今、なにしてんだろうねぇ」
「ある程度有名だったからネットで検索してみたんですけど、古い情報と、あとは新しい違う「アミちゃん」の情報だらけでよくわからなくて」
「その彼はどしたの?」
「いや、知らないです……。そのままになっちゃって」
「なんだよ、結局どういう仲なんだよ。どっちもめんどくせーな、なんか」
「いや、そうなんすよね、ハハ」


飲み足りないのか、ババさんがもう一軒というので、そのまま《コネジ》で飲んだ。ミキさんや、レナちゃんも来ていたが、さっきの話はしなかった。それでいい。ババさんによる下ネタ方面のタガログ語講座をみんなと一緒に笑いながら聞いていた。
 日付も変わったころ、メールが来た。友人が西口の《やまと》にいるから来いという。《あばらや》のすぐそばである。また戻るのか、とも思ったがせっかくなので向かうことにした。歌舞伎町の入口は、ちょうど夜を終える人と、夜を受け入れる人が入り混じってざわついている。先ほどとは変わって人が少なくなった大ガード周辺を超えて、また同じ道を曲がる。さっきまで無かった、たくさんのゴミ袋の大きな山が、2つできていた。《あばらや》はもう閉店していて、提灯の赤色がない通りは、どこにでもある殺風景な裏路地になっていた。通り過ぎようと思ったら、2つ目の山の隅でガサゴソと漁っている白と黒の猫がいた。そーっと寄っていって、軽く手を出したが、少し逃げてこちらを向いている。しばらく見つめあった。その時間を、随分と長く感じた。自分が一歩踏み出すと、猫は思い切り走ってどこかへ消えていった。気を付けるんだぞ。消えていくいくつもの青い影よ、さようなら。そして、ごめんな。

◆あばらや
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13083565/
◆ぼるが
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13000753/
◆やまと
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13025009/