俺は初詣で父の死を願ったことがある

数年前、初詣の際にふと手を合わせてなにをと思った時にふいに父親の死を願ったことがある。何度も繰り返し書くことでもないので詳しくは書かないが、でたらめを繰り返し金で家族をめちゃくちゃにしながら今もなお反省もせず家族を切り売りして保身をはかるこの人間をどうしても許せなかった。帰り際、歌舞伎町の肉まんをほおばりながら、神さまもそんなこと言われても困るよな、と思い、違う神社に行って、今度はあまり何も考えず手を合わせた。結局、その年は地獄のような年だった。むしろ自分の方が、死の近くにたたずむことになった。


胸の中で怒りを煮込みながらも、今も家庭は実に平凡な顔をしている。オブラート一枚しかない壁の向こうは見ないようにしている。本当なら、無臭に感じるはずの家の匂いが嫌いである。少し前から暗闇で寝つけないと吐き気がするようになってしまったので、夜中に24時間営業のマクドナルドへ向かう。営業はしていたが、ある時間帯から持ち帰りだけになるようで、椅子がテーブルの上に置いてあった。知らなかった。仕方ないので、セブンで100円のコーヒーを買って明治通り沿いのバス停の椅子に座ってぼんやりする。金がないので、なかなか店に入れなくなった。売っても売っても、父親の負債がある限り一銭も生まない支店を持っているようなもので、家計はいつも苦しい。最近、買い入れも無い。月末が近寄ってくる。帰って眠れないことを考えると、帰りたくもない。気付くと仕事のメールがたまっていた。とりあえず店に戻りパソコンを開く。


それでも「諦め」という言葉にするとネガティブすぎるような気がするが、そういう気持ちが、自分の中に優しさを少しだけ生み出しているような気がする。たくさんの人を傷つけてきてしまった過去が今ダイレクトに入ってきたら、自分は存在できない。舞台の下から、誰かの手伝いがしたい。一瞬だけでも、そこにほんの数人しか知らないような、痕跡を残すことだけがしたい。別にきれいごとじゃなくて、それしかできないという話だ。その気持ちを支えているのは憎悪だということが、自分のことながらいろいろと考えさせられる。


少し前も、友人の手伝いをしていたが、また、別のなにかで働こうかなとも思ってる。自分だけの、お金が欲しい。ほんの数カ月だけでも、自分の今を忘れたい。


渋谷・LOFT9 BOOK FES.は来週日曜日(10月2日)。なにとぞ…。
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塩谷賛『幸田露伴』3冊揃 1500円
上巻に1Pだけちょっとページイタミあり。