Shinjuku Night #005 〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜


夏の気配を感じる夜だった。


今日は職安通りから《コネジ》のある区役所通りに入らず、まっすぐ進む。
ドンキホーテ前はすでにガチャガチャと人が蠢いている。「新宿のドンキ」といえばすっかり歌舞伎町の店舗になってしまったが、かつて「新宿のドンキ」といえばこちらだった(住所は大久保なのだが新宿店)。真夜中の客層が「テーマパーク化された歌舞伎町」で楽しく、意味もなく飲んだ帰りに寄ったものである。このエリアは歌舞伎町とコリアンタウン大久保の接続部分で韓国系の店舗がすでに多い。そんな街並みのネオンがふと落ちる窪みのような場所に出る。西武新宿線西武新宿駅北口である。この駅の前後の雰囲気の違いはなんなのだろう。正面口は駅ビルがあるし、JRの駅が近かったり歌舞伎町の入口だったりするので賑わうのは当たり前にしても、北口のこの切なさ。近隣の光を吸い込んでいるようなガード下のせいだろうか。とはいえ、いつもそのガードの雰囲気に目を奪われながら歩く。


あまり来ない西武新宿駅前通りに来たのは、先日《コネジ》に、たくさんの餃子を差し入れてくれたヨシノさんに、その時借りたDVD−Rを返すためである。ヨシノさんの娘さんが某ドラマにエキストラ的な感じではあるのだが出演したそうで、録画したDVD−Rを無理やり貸し出されたのである(本当に一瞬の出演だった)。ところがまた誰かに見せたいらしく急に返せと電話があったのだ。複数枚焼けばいいと思うのだが、ヨシノさんは「めんどくさい」とのことで「返して」の一点張りなのであった。じゃあ《コネジ》で、と思ったのだが、「今、ちょっと「コネジ」行きたくないんだよ。エスパス通りのファミマの前に今晩来てよ」というので来たわけだ。
この通りは「西武新宿駅前通り」というのだが、長くて言いにくいのか、靖国通り側にあるパチンコ店のエスパスが目立つせいか「エスパス通り」という人も多い。ファミマを目指して歩く。


この通りは歌舞伎町の西の端にあたる。歌舞伎町に染まりたくない西武と歌舞伎町的な雰囲気が押し合いをしているような不思議な界隈である。歌舞伎町側の、あるビルの2階にある"呑兵衛の聖地"《加賀屋》はいつも気になるがこの店舗にはまだ入ったことは無い。絶妙な立地でいい感じなのだが。今日、ヨシノさんを誘ってみようかと思いつく。ラーメン《ザボン》を過ぎると約束のファミマが見えてくる。ヨシノさんはまだ見当たらない。キョロキョロしていると、植込みの切れ目に「おかあさん」がいる。六十は過ぎてるだろう女性のホームレスである。少し前、急に「最近兄さんよく見るな」と声をかけられ、それから挨拶するようになり、今ではたまに路上でお茶をするようになったのだ(機嫌が悪いのか全く無視されることもあるのだが)。
「かあさん、背が凄い高くて真っ黒な服着た人見なかった?」
「あぁ、あたしたちは人間見ないんだよ。目が合ってなんかに巻き込まれたら嫌だから」
「そっか。ごめんごめん。えっ、じゃあ初めて話した時なんで俺には声かけたの?」
「あんただろ、声かけたのは」
いや、そんなことはないのだが。口は悪いがゆっくりと上品に話すのだ、かあさんは。植込みの柵に座ってくだらない会話をしながらヨシノさんを待つ。
「わりぃ、わりぃ、なんだ、向井とばあさん知り合いかよ」
「なんだ、あんたかい。もっといい男を想像してた」
ヨシノさんは歌舞伎町の「住人」だから知り合いでもおかしくはない。借りていたDVD−Rを渡す。
「話すとみんな見たいって言うからよ」
「だから焼き増しすればいいじゃないすか。『やっとけ』って言えばやってくれる若い人いるんでしょ?」
「こういうことは頼みづらいんだよ……。ちょっと待ってな」
ヨシノさんはファミマで缶コーヒーを3つ買って戻ってきて柵に座る。横並びで飲む。かあさんが勢いある声で話し出す。
「それよりあんたら儲かってんのかい。二人ともタテとヨコにでかいわりに辛気臭い顔してるけど」
「自分は全然す。ダメだなぁ」
「よくねぇよ。なんだか少しずつ上ってきたつもりだけど、ふりだしに戻った感じだよな。ここらも一部だけだかんな、景気いいの」
「アホだねぇ。でも、あんたら、それでもサイコロだけはずっと振っとくんだよ。落ちても死んでも」
乾いた笑いを発しながらヨシノさんが続ける。
「ばあさんは振ってるのかよ。あん?」
「こっちは無くしたよ、サイコロなんて。もういいだろ。ごちそーさん」
急に場所が崩れた。自分とヨシノさんだけ立ち上がる。
「ヨシノさん、飲みに行きません? ちょっとだけでも」
「俺はこれからがゴールデンタイム。忙しいの。悪かったな、またな」
ものすごい早足で薄暗い中へ消えていった。そっか。独りじゃ、行ったことない加賀屋って気分じゃないんだよなぁ。なんだか大量の新聞紙をごそごそやりだしたおかあさんに別れを告げ、明るいエスパス側へ向かった。


ちょっと進むと白い看板、閉店の跡がある。わっ《中国菜館》じゃないか。歌舞伎町案内人で有名な李 小牧さんも常連というお店。ついこの間、賑わっているのを目にしていたのでちょっとビックリした。たまにしか来なかったが、ママさんがいい人でとても居心地のいい店だった。ミラノビルの閉館が決まったからだろう。この店もそうだし、コマ劇場閉館の陰でグランドキャバレー「クラブハイツ」も無くなったり、一般に名前は出ないけど大きなものと一緒に消えていくものもまた実にたくさんの記憶を残していく。


 ここまで来たら足は自然とある場所へ向かっていく。中国菜館跡を曲がり、さらに焼肉店の横を曲がり裏道に入る。そこには歌舞伎町の中に出きた巨大な泡の中のように静かな赤提灯が迎えてくれる。この一角にこのような場所が残っている、それだけで嬉しくなるようなビジュアルの店である。すでに通りには、外に向いた焼き場で焼鳥を焼く煙が漂っている。《萬太郎》に入るとおやじさんがそれほど大きくない声で「いらっしゃい」と迎えてくれる。このお店は独り飲みが多く、居心地の良さが半端ない。BGMはいつも演歌である。コマ劇は無くなったが、今日もサブちゃんは歌舞伎町で歌っているのだ。チューハイにスジ煮込み、それからシロとカシラを焼いてもらうことにした。煮込みは韓国風のピリ辛味。焼き鳥以外は韓国料理系が多い。カウンターには店主の名前による「言葉の真意とは」という論文のようなものが貼り付けてあるのだが、毎回飲みながら読んで、帰りには忘れている。あれはなんなのだろうか。客の口数が少ない店なので、焼き鳥を焼いている静かな音が耳に入る。
 少しウトウトとしながら、焼き鳥を喰らう。もう少し喰いたいなとハツとハラミを追加した。後ろに座っているおじさんが、池袋でおきた脱法ハーブ運転事故を新宿でおきたと勘違いして店員さんに話している。「脱法ハーブかけちゃお」と言いながら七味を焼き鳥にかけたりもはじめる。苦笑交じりで対応しているが、店員さんも大変だ。カウンターの向こう側が、揺れている。酔いがまわったし、ハツを食べ終えたところで腹もいっぱい、ではないのだがなんとなく食べる気力が尽きた。ハラミは、おかあさんにでも持って行ってやるか。会計をすまし、焼き鳥を一本、右手に持ち駅前通りのファミマを目指す。


新聞が広がって、居場所というか部屋のようなものができあがっているが、かあさんはいない。柵に座ってしばらく待つ。道行く人の足元だけを見ながらぼんやり待つ。次第に、細かい音が気にならなくなり、風景ではない、自分でも何を見ているのかわからないような、虚空を見つめているようになる。なんだか人との間に何もないということが心地いいのは場所のせいなのだろうか。
 しばらくすると、小さな、雨が落ちてきた。サラサラと落ちてきたと思ったら、突然に大粒になった。新聞紙がボロボロに崩れていく。これじゃもう、帰ってこないな。雨宿りしながら、あきらめてハラミにかぶりつく。うまい。でもよく考えたら、かあさん、焼き鳥なんか食えそうもないな、あの歯じゃ。


雨はさらに強くなっていく。辺りから人が消えて風景の輪郭がはっきりしてくると、なんだか眠気も酔いも覚めてきた。なにもかも面倒だ。とりあえず今日は「ふりだし」に戻ることにする。今日は、といいつつずっとごまかして戻り続けてしまう、そんなことはわかっているのだが、小走りで《萬太郎》に戻り、チューハイを頼む。

◆歌舞伎町地図
http://www.d-kabukicho.com/kabukicho-map.html
◆加賀屋 西武新宿駅前店
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13040083/
◆萬太郎(食べログ
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13006186/