Shinjuku Night #002 〜裏でも表でもない新宿徘徊録〜


今夜は早めに新宿に出た。


区役所通りを歩きながら、ふと面倒になって、気持ちをオフにして人の流れに沿って歩いていたら、いつの間にか西口大ガードに出た。今日はまだ夜が浅いからだろうか、外国人観光客がやたらに多い。歌舞伎町一番街のゲートを写しているアジア系の人で道が半分ふさがっている。そこにまたアジア系の客引きが群がる。そんな光景を横目にしていたら西武新宿駅を超えて西口大ガードの目の前だったのである。西武新宿駅側の大ガードの歩道は2つ。明るいトンネル側、ほの暗い車道側である。昔からこうだったか全く憶えていないのだが、人の音より車の音、うるさい光はさけて車道側をうつむいて歩く。ここを抜けきって、パッと広がる西口の風景は、駅前のバスターミナルよりずっと好きだ。ここまで来たら小田急ハルク裏の飲み屋か思い出横丁に行くことになる。今日は思い出横丁に体を預けることにした。ここの巨大な横断歩道は実にたくさんの人が行き交う。信号が青に変わり靴の音が耳をふさぐ。すれ違う人の無意識で、自分の独り気分を整える。


思い出横丁の緑色の看板をくぐると、道に人があふれていた。ガイドブック片手にキョロキョロしている欧米人観光客でふさがっているのであった。そびえたつビルの町に突然現れる暗い路地が珍しく見えるのか、本当に写真を撮る観光客が増えた。あまりの壁なので、呆然と立ち尽くしていたら中華料理《岐阜屋》の店内から若い男性がなにやら英語で話しかけると、壁が「十戒」の海のように割れた。若きモーゼに軽く会釈して道を進む。今日はまだ何も口にしていなかったので、《つるかめ食堂》で飲みながらソイ丼を食べようと思ってきたのだ。歩いていると、視界にいつもタイミング悪く満席で入れない、うなぎ串焼きの《カブト》に空席を見つけた。縄のれん側の端が空いていたのだ。肩触れ合うこの店の、太い自分のベストポジションである。
「焼酎と一通りで」
「一通り」とはうなぎの部位を文字通り一通り楽しめる7本セットのことである。小皿の上にコップが置かれ、なみなみと焼酎が注がれた。ドアの無いこの店は、背中に通行人の会話が聞こえてくる。かつてバー《コネジ》の常連だったカジさんによく連れてきてもらったのが最初で、「うな重」しか知らなかった自分には、こんな楽しくておいしい食べ方があるんだと興奮した。とろみのあるヒレを口に運ぶだけでいろいろなことを忘れることができる。焼酎を三分の一飲んだところで、カウンター上の醤油さしに入った梅シロップを入れて味を変える。焼酎がうなぎの脂に触れる瞬間をどう表現したらいいのだろう。


最後の串、蒲焼に手をつけようとして視線を泳がせると、カウンターの向こう側に見慣れた姿があった。いや、違うか……。確認しようと視線を投げかけているのだが、まったく合わない。ちょうど蒲焼を口にして串を歯にあてたところで、目が合った。少し目を大きくして驚いた様子だった。やっぱりシューイチだ。《コネジ》での唯一の同世代。時間が合わなくてたまにしか会えなかったが、二人でいる時は「うるさい!」と怒られるほどに一時期仲が良かった。ただ、シューイチはなんだか怪しいバイトばかりしていて、たまに全く姿を見せなくなったりもする男で、自分が新宿を離れる前もそういう時期だったこともあり、本当に久しぶりだった。場所を変えて飲みに誘おうと高揚して焼酎を飲み干し、串にかぶりついたのだが、その最中にシューイチは席を立ち、そのままカブト横の暗い横路地を抜けて線路側に消えてしまった。自分も会計をすませて追いかけたのだが、見当たらなかった。


今日はそのまま西武新宿駅から帰宅しようかと思っていたのだが、シューイチの件もあり、そのまま区役所通りまで歩いて《コネジ》に行った。
「いらっしゃい」
カウンターにはいつもの指定席にコワモテのミキさん、そしてマツダさん、ムラキさんの会社員コンビ。
「マスター、さっきさ、シューイチに会ったんすよ、思い出横丁で」
「えっ、シューイチくんに?」
声が裏返ったマスターの声にミキさんが急にこちらをキッと見た。マツダさんたちもちょっとソワソワしているのがわかる。
「最近来てます? シューイチは」
「あっ、そうか……、いや、実はね、うーん」
グラスを持ったままマスターは妙な顔をして固まっている。なんでも軽快に返すマスターが、こんなに間をあけることはなく、あまりこの場所では歓迎されない話題なのだということにすぐ気付いた。とはいえ急に話題をずらすのも変だし、それをする技術も無かった。
「ちょっと仕事しくじっただけだ。いろいろあってこっちに来られないんだ、あいつ。まぁ、待ってやれよ、なっ」
珍しくミキさんが話に入ってきた。さっきまでの険しい顔とは変わって、普段見ることのできない白い歯を見せながら軽くいなした。でもこの店の常連ならだれもが知っている通り、ミキさんが饒舌になる時はだいたいが「大変なこと」なのである。この変化した雰囲気を壊したくない。


「そうすか」
なにもなかったかのように適当に返事をした。
さっきまでの高揚感が嘘のように落ち込む。なんだか得意げに話したつい先ほどまでの自分を、消したい。こんな気持ちになるなんて思っていなかった。自分がなくしたものを見つけたかのように、それがまた自分のポケットに入れられると思ったのも、全部違った。当たり前だが、世の中はとても強固で、そんな簡単に景色は変わらない。世界を1ミリずらすことさえ、実はとても難しい。


もうそんな話は忘れたようなふりをして飲んでいたが、シューイチとのことをあれこれと思い出してしまう。深夜の歌舞伎町でよくラーメンを食べた。あずま通りの《玉蘭》で豚まんを買って食べながら駅まで歩いた。シューイチは駅までにあの大きな豚まんを食べきれず、アルタ前広場に座り込んで食べ終わるのを待つ間、くだらない話をするのも楽しかった。あの頃も、語るような夢、といったら恥ずかしいけど、そういうものも無かったが、将来に対する諦めも無かった。良くも悪くも、世界が変わることを考えられなかった。


一杯だけ飲んで《コネジ》を出て、ふらふらと歩いて再び西口大ガードの交差点まで来た。まだまだたくさんの人が赤信号に止まっている。ふくらみがはじける様に、人が横断歩道を渡りだす。よく遊んでいた頃の景色と、今この目の前の景色が、どう変わっているのか、まったく思い出せない。あいまいな記憶を固定させないように、信号が変わり人が動きだす。この信号ですれ違う人の群れに、いつも気持ちのどこかを削られる。

◆思い出横丁公式サイト 
http://www.shinjuku-omoide.com/
◆思い出横丁周辺地図
http://shinjuku-omoide.com/access/index.html
◆カブト(食べログ
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13006700/
◆岐阜屋(食べログ
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13000757/